北米留学上級技術マニュアル - 失敗だらけの、私のTESL留学
目次
- いきなり 専門論文の山
- おすすめの予習本
- 文法を知らない米人教師
- 英語の先生は外国語が苦手
- オジさん、オバさんが一杯
- 片寄った知識が足枷
- 全然ピンと来ない methodologyの授業
- 「奇蹟の教授法」?
- ストライク=ゾ−ンが わからない
- 苦し紛れの paper ばかり
- 「応用言語学」というヘンな名称の学問
- 言語学畑が多いTESL学科の教授
- TESL vs. 外国語教育学
- 研究方法のトレ−ニングには短すぎる2年間
- 授業は 「お子様ランチ」と「濃縮栄養剤」
- 学期の後半は 予習が全然できなかった
- 一つの学説を詳しく勉強すると周囲が見えてくる
- 授業より身についた RA経験
- 耳学問の大切さ
- 日本の状況を知っていると便利
- 卒業パ−ティ−での述懐 "Now I'm ready to enroll in this program."
筆者は1984年から1986年にかけてハワイ大学(University of Hawaii at Manoa)の英語教育学科(Department of English as a Second Language)で学んで修士号を取得したが、その間、まことに冷や汗と後悔の連続であった。その体験談、失敗談をここでご披露する。
いきなり 専門論文の山↑
TESL学科に入ってびっくりしたのは、とにかく読まされる分量の多いこと!それも、一冊の教科書に収まっているのでなく、専門雑誌からコピーした論文をそのまま読まされるのだから、入学一学期目の初心者には目を白黒するような思いである。専門雑誌に掲載される論文というのは、読者も専門分野に関してかなりの予備知識をもっていることを前提に書かれているから、そういう基礎知識が身についていない人間にとっては、いくら字面をにらんでも内容が頭に入ってこず、「わからない、読めない」の悪循環になってしまう。そこへもってきてまだ英語にも充分なれていないから、苦労が倍になる。しかも、実験心理学の論文がおおむね「序論ー先行研究ー目的ー仮説ー方法ー結果ー考察ー結論」という決まった順序で書かれているのと違って、応用言語学の論文の構成はばらつきが著しいから、その点でも不慣れな筆者は不利であった。
おすすめの予習本↑
もっともこれは外国語教育学が学問として幼少期にあったころの過渡的な現象で、現在ではすぐれた概説書が出回っていて、概論の授業の教科書として使われている。概説書というのは、専門知識の体系を一歩一歩頭の中に築くためのものだから、専門論文をいきなり読まされるよりずっとわかりやすいのは当然である。
しかも、そういう概説書の中には、日本語に翻訳されたものもあるので、それを先に読んで時間を節約することもできる。今から留学なさる方が羨ましい。これからTESL学科に留学しようという方は、少なくとも、
- ブラウン『英語教授法の基礎理論』(金星堂)
- フロムキン&ロッドマン『言語とは何か』(あぽろん社)
- エリス『第二言語習得の基礎』(NCI)
- トラッドギル『言語と社会』(岩波新書)
- ハドソン『社会言語学』(未来社)
- クラーク夫妻『心理言語学』(新曜社)
ぐらいは精読してから渡航なさることをお勧めする。いずれも、各分野の「古典」的教科書であり、それゆえいささか内容が古くなっている感はいなめないが、分野の背景を知る上では今なお有益である。もし翻訳に頼らず原典から読みはじめたいということなら、ブラウン、フロムキン&ロッドマン、エリスはそれぞれその後もっと新しい内容をとりいれた本を出しているから、そちらを読んだ方がいい。残りの3冊の改訂版が出たという話はまだ聞かないが、もしこれらの分野に特に興味があって渡米前に文献を読みたいなら、Amazonなどで検索してみられるとよかろう。
もう一冊、これは言語学関係の本ではないが、言語政策論や社会言語学の背景となる各国の民族事情についてざっと概観を得るためには
- 浅井信雄『民族世界地図』(新潮文庫)
が参考になると思う。
テスト統計学の授業をとる予定があるなら、
- 佐藤信『推計学のすすめ』(講談社ブルーバックス)
- ダイヤモンド『統計に強くなる』(講談社ブルーバックス)
も読んでおくと、授業についていくのが非常に楽である(詳しくは「文系族のための統計学攻略法」参照)。特に、大学時代に統計学を学んだことがない人にとっては、この2冊は救いの神だと思う(筆者は今でも複雑な統計分析をやっていて頭がモヤモヤしてくると、この2冊、特に『推計学のすすめ』を読み直して頭の中を整理することにしている)。初歩の統計学のコースは扱う基本概念が確立していて今さら内容が大幅に書き換えられるということがほとんどないから、「古典」に頼っても大丈夫である(もちろん、上級の統計学のコースではどんどん内容が新しくなっている)。理論言語学的なコースも受講する予定なら、それに関する本も読んでおくといいと思うが、この分野は次から次へと理論が改変されていて、とても筆者の手におえない。あえてどの本がいいとは書かないことにする。
文法を知らない米人教師↑
英文法の授業をとってびっくりしたのは、アメリカ人のクラスメートたち(何年も英語教師経験のある、ベテランである)が英語の文法を知らないこと!基本五文型のような、日本人なら中学生でも知っているような概念が難しいらしく、「次の文は五文型のどれにあたるか。分類せよ。」のような問題に四苦八苦していた。
不思議なことに、たとえ日本で中等教育を受けていても、幼少のころに英語圏で英語に親しんだバイリンガル日本人はやはり概してこの五文型分類が苦手らしい。思うに、日本人が五文型分類を得意とするのは、英文の日本語訳から、助詞を手がかりに判断するからではないだろうか?バイリンガル子女は英語を日本語におきかえないで英語のまま判断してしまうから、難しく感じるのかもしれない。
英語の先生は外国語が苦手↑
TESL専攻の英語ネイティブ学生には、長年外国(たとえば日本)で英語を教えていたという人も多い。自分が外国語の教師なのだから、率先垂範してさぞかし見事に現地にことばをマスターしたのだろうと思うと、これが意外なことにほとんど現地語を話せない英語教師が結構いる。ましてや、読み書きとなるともう悲惨である。多くの国では英語のネイティブが色々な意味で甘やかされていて、ほとんど現地語を知らなくても何とか生活できるように社会のシステムができているらしい。
たとえば日本でも、関西地方のある街には、英会話学校で英語を教えている外人がかたまって住んでいる「外人村」のような地区がある。また、英会話学校や大学で英語を教えていれば、職場の人達はみんな英語で話しかけてくるから、そこでも現地語は必要ない。結局、買い物や乗り物に乗る程度の、ごく簡単なレベルの会話さえできれば何とか生活できてしまうのである。
実際、筆者がこれまでに会ったESL専攻の英語ネイティブの中で、非ヨーロッパ系の言語を使って複雑な交渉や学術上の討論が自在にできる人物は数えるほどである。(フランス語やスペイン語が流暢な人は結構いるが、これは英語国民にとってはなかば方言みたいなものだから、真の外国語とはいえない。)
この程度の外国語能力しかないような人間が集まっているのだから、入門期の学習者に対して現地の言語を媒介として英語を教えることなど、まず期待できない。おのずと、入門期の指導は現地の英語教師が担当し、英語ネイティブ教師はある程度下地ができた学生を受け持つか、あるいは最初から完全なdirect methodに頼ることになる。TESL、あるいはSecond language acquisitionという学問も、そういうprofessional communityの「お家の事情」から少なからぬ影響を受けているということは頭に入れておかれたい。
たとえば、1970年代の一時期、「学習者の母国語が何であるかは、その外国語学習過程にほとんど影響を及ぼさない」という学説が有力であった時期があった。常識から言ってもそんな馬鹿なことがあるわけがないのであるが、そういう荒唐無稽な主張がSLA学者(その多くは、かつての英語教師である)の間でもてはやされた背景には、彼等自身が大して外国語ができないという事情がある。したがって、<学習者の母語を熟知しなければ的確な外国語指導計画がたてられない>ということになると、都合が悪いのである。それに加えて、米加両国内で外国人学生や移民に対して英語教育を行う場合、クラス内の学習者の母語が多様であるということもあって、媒介言語を用いない直接法が主流である。そのアプローチを正当化したいという気持ちが元TESL教師(で、現役のESL teacher trainer)であるSLA学者にはたらくというのは、自然なプロセスというものであろう。
最近ではsecond language acquisitionも当時にくらべれば学問として成熟してきたので、ここまで極端なことは少なくなったが、今もってこの分野の主要な研究者といわれている人たちの多くは英語ネイティブで、かつ元英語教師、現 teacher trainerである。そういう背景からくる一種の「怪しげさ」のようなものがあるということは、一応頭に入れておかれたい。(例えば、学習者用の辞書が北米の応用言語学者の間で主要な研究トピックになりにくいのも、一つにはそういう事情が影響しているのではないか、と筆者は勘繰っている。ーーというくだりまで読んだところでそのまま真に受けたりせず、筆者のバイアスも大いに疑ってかかるようでなければ、まだまだ甘いですぞ。)
オジさん、オバさんが一杯↑
何年間か英語教師としての経験を積んだ上で、さらなるキャリアアップのためにTESL学科の大学院にやってくる人が多いので、おのずと学生の年齢層は高くなる。平均すると30歳は軽くこえていたのではないだろうか。(当然ながら、筆者はほとんど最年少のグループに近かった。)中には40歳を越えた大学院生もいて、年下の教授から指導を受けていたが、こういうのがさして奇異とも思われないのが、アメリカ社会のいいところかもしれない。しかし裏を返せば、単に「齢が上だ」というだけでは、尊敬も尊重もされない社会でもある。
片寄った知識が足枷↑
筆者は日本の大学で言語学を勉強したことがなかったので、留学を考え始めたころから、やおら紀伊国屋書店に駆けこんで言語学の入門書をあさりはじめた。今にして思うと、これがかえって渡米後の混乱のもとであったようだ。そのころ日本で出回っていた言語学の入門書は(アメリカで出ているものもそうだったが)、ほとんどがチョムスキーの初期の変形生成文法論的な言語観にもとづいたものであり、機能主義的な考え方は、ほとんど無視されていた。例えば、主題(topic)は機能主義言語学ではもっとも重要な基本概念のひとつであるが、初期のチョムスキー理論では、そういう概念は文法理論の中軸からはほとんど排除されていた。したがって、筆者が読んだ本にも、topicは言語学上の専門用語としてきちんと定義されていなかった。言語学の長い歴史から見ると、かなり片寄った紹介のされかたといえよう。
そういう片寄った見方だけを付け焼き刃で頭につめこんでいざ大学院の勉強をはじめてみると、そこでは機能主義的な言語観が主流をしめていて(これは、University of Hawaii のESL学科の伝統である)topicのような概念を中心にすえながら議論が進むため、一体それをどう位置づけたらいいのか皆目見当がつかず、大混乱をきたしてしまった。おぼろげながら、問題の整理ができるようになったのは、2学期目も後半になってからであった。
全然ピンと来ない methodologyの授業↑
教授方法論の授業というのが、教えた経験のない人間にとってはわかりにくい。隣の席にすわっていた、英語教師歴10年というベテランは、毎回「素晴しい授業だった!」と感激していたが、外国語教育経験のない筆者は、耳にすることがことごとく上すべりしてほとんど頭に残らなかった。後年日本語教師としての経験を積み始めてから、「そういえば、あの時…」と思い当たることが多々あるが、完全に聞き漏らしたことも多くあったに違いない。今から考えると勿体ないことである。もし時間に余裕があれば、一夏まるまる休みをとってTESOL Summer Instituteで教授法をじっくり勉強しなおしてみたい、というのが今の筆者の夢である。
「奇蹟の教授法」?↑
渡米前、アメリカの外国習得研究は日本よりはるかに進んでいると聞いていたし(これは事実である)、その中でも最先端をいくのがハワイ大学の英語教育学科だというから(これもおおむね正しい)、さぞかし画期的な教授方法の極意を教えてくれるのだろう、と期待して入学した。確かに授業で紹介される研究は「よくこんなことまで調べたなあ。」と感嘆するような知的労作の数々であった。しかし、それがどう日々の教育実践に結び付くかと考えてみると、まだまだ最適の教授方法を理論から割り出せるレベルには到底達していない。
たとえば音韻学(phonology)の授業は、音素(phoneme)などの基礎的な記述分類システムや初歩的な生成音韻論の紹介のあとそれを外国人英語学習者の言語行動にあてはめた対照分析の論文の検討をして一学期がおわってしまった。日本人が苦手とする/r/と/l/の聞き分けをどう練習させるか、などという話題は全く出てこなかった。そういった研究はむしろ日本のほうが進んでいるような気がする。
思うに、音韻学のコースが必ずといっていいほどTESLのプログラムに組み入れられているのは、それが言語教育の実践に有用だからではなく、言語学という「親学問」の中で重要な位置を占めているから、という理由によるもののようである。むしろ、実際の発音指導に直結する調音音声学(articularoty phonetics)の知識の方が語学教師にはずっと有用だと思うのであるが、音声学を必修科目にしているTESLプログラムというのは聞いたことがない(教えられる人も少ないが)。音声学を専門とする応用言語学者も、今のところまだ数えるほどのようである。(なお、発音矯正の仕方などを専門的に勉強したければ、speech pathologyのコースを取った方が早道である。Speech pathologyはもともと言語障害者を助けるための研究分野だが、その技術は外国語教育にも応用できる。因みに言語学科でもArticulatory phoneticsの授業を出していることがあるが、概して理論にかたよっており、発音矯正のような応用分野には直結していない。)
語学教師としては、現状では、常識でいえるようなことを整理して、大きな間違いがないようにしながら経験的にノウハウを積み上げていくしかないようである。
とは言っても、ハワイで学んだことが全て無駄だったとは思っていない。やはり当時学んだ基礎があってこそ日本語教師として今日飯が食えるのだと思っている。
ストライク=ゾ−ンが わからない↑
大学院進学にあたって大きく専攻分野を変更したため、入学当初は、次の授業でどんな内容が出てくるか、大まかな見当さえ全くつかない状況であった。一生懸命論文を読んでいるつもりでも、うわすべりで全然頭に入らないのである。野球でいえば、ストライク=ゾーンがどの範囲か、という基本的なルールを知らないままで打席に立っているようなもので、これでヒットを打てという方が無理である。どうにかストライク=ゾーンがおぼろげながらわかるようになってきたのは、入学2年目になってからか。
苦し紛れの paper ばかり↑
分野の全体の体系が見えないままで毎学期授業をとっているので、term paperのトピックの選定にも苦労することになる。毎学期、苦し紛れの題目を期限直前に考え付いて、その後苦労して書き上げたものの、それが将来の足しにもならない、というパターンが延々と続いた。しっかりした見通しがあれば、長期的な研究計画にもとづいて、その基礎をterm paperとして準備することもできたのだが。残念至極!
「応用言語学」というヘンな名称の学問↑
外国語教育および学習に関する研究分野を総称してapplied linguisticsというが、考えてみれば変なネーミングである。ことが人間の学習過程に関わる以上、言語学だけでなく、心理学、教育学などの成果も取り入れなければならないはずなのに、どういうわけか言語学だけを応用すればことたりるかような名称が定着してしまった。このことばを聞くたびに、筆者は不愉快になるのである。
最近では思い直して、社会事象としての言語使用を研究対象とする言語科学(社会言語学)や心理過程としての言語を研究する言語科学(心理言語学)があるように、応用(教育)場面での言語の使用と学習を対象とする言語科学が「応用言語学」なのだ、と無理矢理考えることにしている。
言語学畑が多いTESL学科の教授↑
「応用言語学」という分野の名前を反映してか、TESLの教授は言語学科や応用言語学科の出身者が多い。心理学科や教育学科を卒業した人というのは、数えるほどしかしらない。とは言っても、認知心理学的なアプローチの重要性は最近とみに認識されてきているので、大きなTESL学科なら、そういう研究に興味をもってくれる先生が見つかる可能性は高い。
TESL vs. 外国語教育学↑
通例ESL学科は応用言語学の一部とみなされ、College of Arts(日本でいう、文学部にやや近い)に設置されているが、一方、少し大きい教育学科にはたいてい外国語教育学専攻のプログラムがある(ただし、例外もある。例えばUniversity of Pennsylvaniaの場合、教育学部の中にTESLの修士課程がある)。
お互いに関連のある研究をしているのだから協力しあえばいいと思うのだが、この二つは概して仲がよくない。教授同士が個人的に犬猿の仲、という場合ばかりではないが、アプローチがあんまり違うので話がかみあわないので、お互い無視しあっているようである。
筆者がDepartment of ESLの出身だから言うわけではないが、どちらかというとTESLの方が理論から実践まで懐が深いように思う。言語学や応用言語学でもっとも研究が進んでいることばはもちろん英語で、当然言語習得理論や社会言語学の論文も、英語を研究対象にするものが一番多い。一方、TESOL Journalというprofessional journalには、「理論的な裏づけやデータはありませんが、こういう上手い教え方を考えました」という報告をする投稿欄("Tips from the Classroom")もちゃんとある。TESOL Journalよりは理論指向といわれるTESOL Quarterlyも理論的な論文に混じって教科書出版の舞台裏を解説する内幕モノ記事などもあって、幅が広い印象を受ける。Art(「技」)とScience(「学」)の両面をバランスよく進めることではじめて教育実践の円満な進歩が可能になることを考えると、これはprofessional journalとしては当然のアプローチともいえる。
ところが、かたや外国語教育の分野で「こういう教え方があります」というような論文を書いても、掲載してくれる雑誌を探すのは一苦労である。The American Council on the Teaching of Foreign Languages (ACTFL)などの学会発表でそういうテクニックを披露することは可能だが、それが「紙」に残らないと業績としてはカウントされにくい。外国語教育の世界でTESOL Quarterlyにほぼ相当する雑誌はForeign Language AnnalsまたはModern Language Journalであろうが、どちらもこのところ妙に「アカデミック」な編集方針が目について、毎日の授業実践で役に立つような記事は稀である。
もっとも、TESL学科でも少し「格」の高いところへいけば、そういう教授テクニックのようなことを中心にやっている教官はいい評価を受けず、テニュアもとりにくい。外国語教育学科の教官は否応なく教師志望のundergraduateの学生に教授法を教えないといけないから、チョークの使い方のような基本的なことも無視するわけにはいかないが、research-orientedなTESLマスターコースでは学生の多くが教師経験者であることもあり「うちはそういうレベルの低いことはやりません」と言えば通ってしまうところがある。いささか話がややこしくなったが、要するに学科レベルでの運営と学界全体の指向の間には開きがあるようである。
所属学会をみても、ESL教師はTESOL、外国語教師はACTFLとそれぞれ別の組織に属していて、この二つが交流することは従来ほとんどなかった。最近、マルチメディア教材を開発するために大学内の語学関係諸部門が一丸となってgrantを獲得する必要が生じ、そこでようやくTESL学者と外国語教育学者が協力する場ができつつある。
研究方法のトレ−ニングには短すぎる2年間↑
大雑把に当該分野の最近の研究を概観するだけなら2年間でも何とかなるが、自分で研究を継続していくだけの実力をつけるには、2年は短すぎるように思う。特に、統計学や実験、調査技術などの研究方法論をじっくり学んでいる余裕がない。将来研究者として大成したいという方は、博士課程への進学をお考えになるべきだと思う。(とはいえ、修士課程を終えただけで就職して、その後立派な研究を出しておられる方も知っているから、安易な一般化はできない。しかし、博士課程にいった方が、研究者として「揉まれる」ことは確かである。)
授業は 「お子様ランチ」と「濃縮栄養剤」↑
TESL学科の授業は、基礎知識と応用の両方を1コースでカバーしなければならない為、突っ込みが甘くなりがちだ。言語学入門コースなど、その最たるものであろう。2年間にわたって「お子様ランチ」と「濃縮栄養剤」を与えられた、という思いが後に残った。
学期の後半は 予習が全然できなかった↑
ハワイ大学のESL学科は極端に研究指向で、学生にもterm paper projectとして優れた研究をすることを要求する(当時は大学院に博士課程がなかったので、ライバルUCLAの博士課程に負けまいと教官が無闇に力んでいたような気がする)。これが行き過ぎると、授業の予習そっちのけで term paperを仕上げることのみに意を注ぐようになってしまう。既に基礎的な知識を身につけた上で入学した人はいいが、さもないと虻蜂とらずになりかねない。筆者の場合、立派な研究をしあげてやろうなどという野心があってのことではないが、コースの成績評価の大半がterm paperによっていたため、学期の後半ともなれば予習をさしおいてもpaperを書くことにエネルギーを傾けざるをえなくなってしまった。
一つの学説を詳しく勉強すると周囲が見えてくる↑
Term paperを書いてよかったと思える点は、一つのトピックについて集中的に文献を読むことになる点である。概して、総花的になんでも浅く広く読むよりは、先に特定の問題をつっこんで考究した方が、後で身につくように思う。一つのトピックについて詳しく勉強すると周囲が見えてきて、他の分野の文献にも何とかくいついていけるようになるものである。
授業より身についた RA経験↑
筆者はハワイ大学時代、Center for Second Language Classroom Research(現在はCenter for Second Language Researchと改称されている)の研究助手を勤めた。どちらかというと、授業で聞いた話よりresearch assistantとしての仕事の経験の方が今日まで血肉となっているように思う。授業を取るだけで卒業していたら、スカのような修士課程時代だったことであろう。
耳学問の大切さ↑
あらゆる研究分野の文献を読み尽くすなんて、今どき一生かかっても不可能である。しかし、類縁の分野でどんなことが起こっているか、知っていて得をすることも多い。そういう時は、大いに耳学問をするべきである。その為にも、優秀な友達とつきあうことが大切だ。 パーティーでの席などで自分と違うトピックについて研究している人とあったら、色々話をきいておくと、視野が広がること間違いない。(逆に、専門外の人にも自分が勉強していることをかいつまんで説明できるような口上を考えておくと、そういう質問を受けた時まごつかなくてすむ。)
他の分野の研究者の講演などにも出かけていって、新しい情報を仕入れるべきである。 講演の後のReception party はわりとくだけた雰囲気で、学生が有名な先生に話しかけても奇異でもない。ただし、大先生と話をしたいという人はたくさんいるので、あまり一人で相手を独占しないように気を配るぐらいは常識である。話しかけるのが気がひけるなら、そばにくっついて会話を聞いているだけでも参考になる。 大いに耳学問しよう。
日本の状況を知っていると便利↑
教授にしてみれば、日本人の学生がクラスにいるなら日本の外国語教育事情について話題をひきだしてみよう、と考えるのが自然である(ハワイなど、アジア指向の強い大学では特にその傾向が強い)。そうやって水を向けられた時にうまく返事ができなければ、せっかくの活躍の機会を逃してしまう。日本にいる間に、日本のことが紹介できるような準備をしておくと後で助かる。筆者がやって自分でよかったと思っているのは、日本の中学の英語教科書を何冊か持参したことである。Discourse analysisの授業のterm paperなども、こういう日本人ならではの材料を持っていたおかげでうまいネタができて重宝した。
卒業パ−ティ−での述懐 "Now I'm ready to enroll in this program."↑
卒業するころになって、漸くESL学科でどう勉強すればいいのかがわかるようになった気がする。卒業パーティーの席で、「今から修士課程に入学すれば、優秀な成績があげられると思います。」と隣席した教授に思わず言ったら、「みんなそう思うもんだよ。」となぐさめられてしまった。数日後には、博士課程に進学すべくハワイを発つことになっていたのであるが。
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