北米留学上級技術マニュアル - 気分転換法
目次
人間、 一日24時間勉強ばかりできるものではない。どこかで息抜きが必要になってくる。なるべくお金を使わずに、大学内外の施設を最大限利用してエンジョイする方法をご紹介する。
スポーツ↑
大学の施設を活用して息抜きをしようと思えば、まずスポーツ施設である。少し大きい大学なら、テニスコートや通年オープンの温水プールがあるのは常識で、サウナやビリヤード場も珍しくない。ウエイト・トレーニング施設も大抵の大学にある。一人で汗を流すだけでは面白くないという向きには、球技の相手を探す掲示板もある。コンピューターに強い人なら、ホームページに仕掛けをしてパートナーを募ることも可能だろう。
さらにundergraduate student向けの体育(physical education)のコースをとるという手もある。テニスや水泳は言うに及ばず、大学によっては、ヨガ、太極拳、社交ダンス、ヨット、アクアラング、ボーリング、ビリアードなど、実にいろいろなコースを出していて飽きることがない。(総合大学の場合、しばしばスポーツ教育専攻の大学院生が体育の講師を勤める。)授業料とは別に施設の使用料をとられる場合もあるが、日本でスポーツセンターに通うことにくらべれば、ただみたいなものである。通常の学期終了後、とまりがけで「カヌーでコロラド川逆上り」なんてコースもあって、こういうのに出ればスポーツと旅行の一石二鳥である。
大学院生でも遠慮することはない。むしろ、大学院生は優先的に好きなコースをとれるように優遇している大学が多いので、テニスやラケットボールのような人気コースに真っ先に登録できるわけである。現に筆者の先輩にも、この制度を利用してフィギュアスケートのコースをとり、週2回は銀盤の女王と化して華麗な舞いを披露していた方がいた。今は立派な言語心理学者になっておられる。ただし大学院生がundergraduate studentsと競うと、日頃よほど鍛えている方でない限り持久力と柔軟性では分が悪いが、勝敗は気にせず楽しむつもりで参加なさればよかろう。逆に腕に覚えがあって「初心者相手では物足りない」とお感じなら中上級者対象のコースがないか調べてみられたい。
なお、「体育のコースでCなんかとったら学籍簿に残ってかっこわるい」、とご心配なら、Credit - Non creditという方式で受講なさることをお勧めする。A、B、C相当の成績なら全てCredit(「単位取得」)とだけ記録され、Grade Point Average(平均成績)には影響しない。(稀に、この制度がない大学がある。筆者の知る限りでは、University of Michigan, Ann Arborがこれに該当する。)
もしあなたの留学した大学が小さい学校で体育施設が不十分なら、近隣にあるYMCAなどのスポーツ機関を調べてみるとよかろう。せいぜい月会費100ドルぐらいで施設は使い放題、日本のスポーツクラブにくらべればやはり割安である。
ジムががらすきになる曜日・時間↑
ずばり言って、日曜日の夜の大学のジムは、たいていガラ空きである。金曜日の午後から日曜日の朝にかけての週末はスポーツを楽しんだ学生も、日曜日の夕刻からは再び翌週の準備に専念しはじめ、プールやサウナもスカッシュコートや筋トレルームもがらんどうになる。うまくスケジュール調整をしてこの時間にジムに行けば、混雑にうんざりすることなく設備を思いっきり使うことができる。特に、既に所定単位の授業科目をとり終わって論文研究に専念している大学院生の場合スケジュールに柔軟性があるはずだから、ぜひこの手をおぼえておかれたい。
一方、金曜の午後〜日曜日の朝の週末の込み具合は大学によって随分違うようである。学生の大部分が寮に住んでいる大学では週末にどっと押し掛けて混雑するが、自宅やアパートから長距離通学する学生が多い場合、日曜日にわざわざジムを使うだけのために大学にやってくる者は少なく、従って結構空いている。
また、中には午前6時あるいは7時という早朝からジムを開けている大学もあるが、この時間帯も狙い目であろう。平日の朝昼は体育の授業とかちあいプールやテニスコートが使えなくなることもあるので事前にスケジュールを確認しておいた方がいいだろう。
プールの水温↑
規模の大きい大学だと、同一キャンパス内にいくつもプールを設けていることが少なくない。自室からの距離や込み具合などいろいろな条件を検討して一番適切なプールを選べばいいのだが、その重要な条件の一つが水温である。同じ大学のプールでも相当な温度差がある(概して、競泳選手の練習に使われるプールは温度が低く抑えてある)ので、できれば実際に足を運んで自分で確かめてみよう。
プール/シャワーはサンダル持参で↑
日本では“プールサイドやシャワー室を素足で歩いていて水虫を移された”という話が後を絶たないが、事情は外国でも大同小異である。この種の皮膚病感染を防ぐ自衛策としては、サンダルを持参し素足で歩かないようにするのが一番である。水切りのことを考えると、接足面に突起のついた、日本でいう「健康サンダル」(英語では"Massage sandal")が便利だろう。これは北米でも手に入る。靴屋になければ、薬屋か健康用品店を探してみるとよい。
また、突起部分がプラスチック製のものは得てして弾力が乏しいので足裏にかなり負担がかかる。できればゴム製の柔らかいものの方が無難だろう。
短時間で猛烈に汗をかきたいなら↑
好みの問題は別として、とにかく短時間で猛烈に汗をかける、運動量の多い球技をしたいなら、ラケットボールかスカッシュがお薦めである。狭い空間で戦う分、ストローク間の時間間隔が短いうえ、五面の壁・床・天井をコートとして戦わないといけないから、ほとんど全く休みなく動き回る必要がある。10分もやれば汗びっしょりになること間違いない。
幸い、アメリカの大学では体育館にコートを設けているところが少なくない。日本ではあまり経験できないスポーツだから、のちのち話の種にもできるだろう。
ただし、スイングする時に手首を返すラケットボールの動きは、テニスでは御法度である。ラケットボールとテニスを同時に習い始めるとお互いに干渉しあってフォームがぐちゃぐちゃになるから、時期を考えられた方がよろしかろう。
肩が凝っても水泳はできる↑
平泳ぎのように首を持ち上げる泳ぎ方だと、肩凝りがますます辛くなる。こういう時はクロールか背泳。肩をぐるぐる回して血行をよくすると肩が軽くなるという人も多い。
コーチングは、科学である↑
筆者の数少ない健康法の一つは水泳で、日本でも豪州でもスイミングスクールに通ったことがある。その乏しい経験から推して、概して日本のスポーツコーチの指導技術はまだまだ遅れているような気がする。オーストラリアのコーチは生徒が泳いでいるのを一目みただけで「お前の肘の使い方はここがこういう風に効率が悪いから、こうなおせばもっと早く泳げる」とズバズバ指摘してくれ、事実その通りにやると体がすっと前に進んで感激するのであるが、日本のコーチはただ進級テストの時に「だめ!」と宣告するだけで、どこをどう改善したらいいのか、そのためにはどう練習したらいいかを明快に指導してくれる人は非常に少ない。自分ができるということと、その技術を身につける方法を他人にわかりやすく伝えられるというのでは大違いなのであるが、その後者の技術が日本のスイミングスクールの講師には欠けていたのである。
思うに、日本ではスポーツコーチの養成ルートそのものが確立しておらず、往年の名選手だったというだけで後進の指導を任せてしまうのではないだろうか。オリンピック選手の養成ともなれば日本でもハイテクを駆使して科学的な指導訓練に努めているが、そういうノウハウが底辺におりてきていないような気がする。その点、方々の大学/大学院できちんとスポーツコーチ学を学べるオーストラリアに一日どころか多年の長があるようである。
以上、日本と豪州の比較に終始したが、豪州同様アメリカも大学院で正規のスポーツコーチとしての訓練が受けられ、その優れた指導技術が施設の充実とならんでオリンピックのメダルの山【2000年のシドニー五輪で97個ーー露中豪を抑えて第一位】の底辺を支えているように思う。とはいっても、日本でも筑波大学、日本体育大学、日本武道大学などプロのスポーツコーチを養成する専門教育を施す大学もあるにはある。今後、こういう専門教育を受けたコーチがさらに広く各界に進出してくださることを祈りたい。
【因みに豪州は2000万人に満たない人口でありながら、シドニー五輪で58個(米露中に次ぐ)のメダルを獲得した、スポーツ超大国である。人口30万人あたり1個のメダルといえば、その凄さがおわかりいただけよう。年齢などを考慮して実質的に競技に参加可能な人口に限定すれば、おそらく10万人に一人ぐらい、あるいはそれ以上の比率でメダルをとっているものと思われる。なお、日本が同大会で獲得したメダル数18個は第14位。】
ラケットが壊れたら↑
体育実技の授業の最中にラケットが折れてしまったりしてそれ以上続行できなくなったら、ぼ〜っとしているのも時間の無駄である。巡回指導しているインストラクターに頼んでその日は一緒に歩かせてもらおう。インストラクターがどこでどういう指導をするかを観察していると「なるほど!」と思うことがあり、自分の実技にも参考になるものである。
サークル↑
茶道、囲碁、チェス、コーラス、瞑想など、さまざまな趣味のサークルが大学にある。気分転換になると同時に人脈を築くチャンスでもあるから、色々覗いてみられてはいかが?大学には登録サークルの管理をする部局があるから、そこへ行けばどんなサークルがあるのか、代表者は誰かなど教えてくれる。
因みに、数学科の教授には囲碁ファンが多く、中にはかなりの強豪もいるそうである。ボランティア活動をやってみたいと思っておられる方にとっても、大学のサークルはよりどりみどりである。国際的な団体の支部が大学におかれていることもしばしばある。Green PeaceやAmnesty International、さらに過激なリベラル派の旗手・American Civil Liberty Union (ACLU)のようにどちらかというといわゆるリベラルな色合いのものから、もっと保守的な姿勢のものまで、実に多彩である。Democrat PartyやRepublican Partyなどの政党の支部も大抵の大学内にある。なお、こういう団体の大学支部は休みの間は大抵休業状態になってしまうが、社会人を対象とする街の団体支部の方は引き続き活動している。「休みの間も何かしたい」と思っておられる方は、問い合わせてみられるとよかろう。
気にいったサークルがないなら、仲間を集めて自分たちで作ってしまうこともできる。大抵の大学では、学生がサークルを正規に登録すると何がしかの活動補助金を支給してくれる。それを元手に備品を揃えたりすることも可能だ。(「カラオケ・クラブ」なんて作れるかも?)
日本語会話クラブ↑
日本語を勉強している学生と日本人留学生が日本語で話そう、という趣旨のクラブがあちこちの大学にある。毎週日を決めてパブで会っているクラブも珍しくない。とはいっても、実際に出てくるのは日本人ばかり、ということもあるが、それはそれでネットワークづくりの出発点として便利である。とりあえず所属大学の日本語科に連絡して、そういう会合があるかどうか問い合わせておかれるとよかろう。
なお、こういう会合は日によってあるいは時間帯によって出席者の顔触れや雰囲気がガラッと違うことがよくあるので、顔を出してみて馴染めない雰囲気だったら早目に切り上げ、しばらく期間をおいてまた顔を出してみるとよいと思う。
映画↑
週末の キャンパス=ム−ビ−↑
週末は話題の映画を構内で上映する大学が多い(ハワイ大学では、毎晩やっていた)。街中の映画館よりはずっと安い値段で見られる。学生寮では無料の映画会を催すこともある。寮に住んでいない学生が入り込んで一緒に見てもお咎めもない。タダといっても話題の映画や名作が上映されることが多く、その質はあなどりがたい。かくして、学生は金を使わずに生活を楽しめるのである。
もっとも筆者の場合、金曜日の夕食後に出かけた映画上映会ではしょっちゅう眠りこけていたのであるが、大音量鳴り響く暗いホールで誰にも気兼ねなくとれた居眠りが、実は至福の時であったりもする。
映画研究の授業↑
Cinema studiesのコースでも授業の一環として頻繁に映画を見せるから、そこにこっそり(あるいは堂々と)もぐりこんで映画を見ることもできる。そういうコースはたいてい指導教官の興味にあわせて特定の監督や時代・国に焦点を絞っている。
かくいう筆者もイリノイ大学時代に、映画学科の教授が日本映画論のコースを教えた学期には、毎週映写室に通って黒沢明の映画を堪能していた。(事前に教官に話をつけて上映予定を教えてもらっていたので、まだ見ていない映画だけを見に行くことにしていた。)
本当はそれに引き続き討論のクラスがあったのだが、正規に履修登録していなかったのでそれには出なかった。しかしきちんと出席していればいまごろいっぱし「アメリカ人の黒沢映画観」の通を気取れたのに、と思うとちょっと残念である。せめて一度ぐらいのぞいてみればよかった。
街の映画館↑
さらに、街中の映画館の料金も日本にくらべればずっと安い。その上、週一回(たいていウイークデーのうち一日の昼間)に"matinee"という格安料金時間帯をもうけている映画館が多い。貧乏学生およびケチ教徒には、見逃せない。
美術館/博物館↑
ニューヨークやシカゴのような大都会ならずとも、探せば大学の近辺に美術館や博物館があることが珍しくない。そこそこの規模の大学だと自前で個性ある博物館を運営していることもある。週末の午後、食事のあとでぶらりと立ち寄ってみると絵を眺めているうちに斬新な発想が産まれてくるかもしれない。
パーティー↑
アメリカ人はことのほかパーティーの好きな人間の集まりらしく、特に学期終了直後(日本でいう「うちあげ」)には、ここかしこでパーティーをやっている。自分は呼ばれていなくても、招かれた人の同伴者としてパーティーに出ることも許されているが(自分の妻や夫を連れて行くのはごく普通)、一応主催者側にその旨を連絡しておくと先方もそれなりに準備の都合があるであろう。学生仲間のパーティーなら、大抵ポットラック(参加者が食べ物を持ち寄る)か、会費制である。パーティーに招かれたら(特に会費を徴収しない場合)、
"Shall I bring something?"
と聞いた方がいい。必要なら「ワインを買ってきてほしい。」とか何とか言ってくれる。
"Bring yourself."
と言われたら、堂々と手ぶらで行けばいいのである。
なお、アメリカのパーティーは日本式の宴会と違って、三々五々あらわれてさみだれ式に帰るというのが普通である。みんな勝手に飲み食いして好きな相手と話をして帰る。幹事挨拶、なんてのもなく、もちろんイッキ呑みもなく、いわば構造化されていないと言えよう。色々な人と自由に話すにはいいが、話しべたな人間はとっかかりがなくて戸惑う。外国人はなおさらである。どんなパーティーの席でも巧みに相手を見つけて会話が運べたら、あなたの総合的なコミュニケーション能力は間違いなく上級レベルといえる。(と、かくいう筆者も、いまだに見ず知らずの人達ばかりのパーティーは苦手である。)話してみたい相手がいるが、自分で話しかける度胸がないなら、知人に紹介を頼むのも手である。招待してくれた相手にあらかじめ、「知らない人ばかりなので、なるべく色々な人に紹介してほしい。」と頼んでおけば、しかるべく取り計らってくれる(でしょう)。パーティーでの会話術について触れた本がたまたま手元にあるので、ご紹介しておく。
Glass, Lillian. (1991). Confident Conversation. Piatkus. ISBN: 0-7499-1085-2 (paperback).
因みに、学生仲間で特に頻繁に行われるのが、potluckと呼ばれる、手料理持ち寄りのパーティーである。こういう時のためにも、何か一品ぐらい作れるようになっていた方が便利である。(どうしても料理ができないとか、キッチンがないとかいう人は、飲み物を買って持って行ったりすることになる。)
公開講演↑
少し大きい大学になると、色々な分野の硯学を招いて公開講演を行うことが頻繁にある。そういう機会にお呼びがかかる講師というのは学問的に優れていることは勿論、プレゼンもうまい人が多く、例えば量子物理学の権威が最先端の研究を、素人にもわかりやすいように説明してくれたりして、目から鱗の落ちる思いである。自分の分野外だからといって遠慮せず、どんどん出かけていくと視野が広がること間違いない。
もし内容が専門的すぎて自分には理解できないのではないか、と心配なら、主催学科に連絡して、対象層を確認しておくとよかろう。勿論専門家を対象にした講演もあるから、そこへいきなり素人が顔を出しても内容を充分に咀嚼するのは難しかろう。
知的な贅沢 Luxury of the mind↑
そういう公開講演の内容を話題にして、専門分野の違う学生と意見交換ができるのも、総合大学ならではの楽しみである。寮暮しの醍醐味も案外このあたりにあったりする。氷点下15度の星空の下、ツギの当たったジーンズを履いた数学専攻の学生と古着屋で買ったぼろジャンパーをまとった哲学専攻の学生が宇宙物理学者の公開講演を聞きに行った帰りに24時間営業のcoffee shopに立ち寄り、一杯50セントのコーヒーをすすりながら百億年後の宇宙の姿について深夜まで白熱の議論をたたかわせる、なんていう知的贅沢は、大学を離れてしまったら最後いくら金を積んでもできるものではない。
そういう知的な世界を探検することに興味がない人間にとっては、大学院というのはつまらないところである。
講習会↑
アメリカの大学には学生に勉強法を教える専門の部局があり、随時講習会を開いたりしていて、非常に安い費用で参加できる。(高校時代にロクに勉強しなかった平均的アメリカ人学生には、こういう手ほどきが必要なのである。)受験勉強で鍛えられた日本人なら今さら「単語カードの作り方」などを教えてもらう必要はないだろうが、速読法などアメリカならではのコースもあるので、内容を調べてみられたい。コンピューターのソフトの使いかたを教えるコースもあり、これも日本でパソコン教室に通うのとくらべたらタダみたいな値段で受講できる。
また、正規の体育の授業とは別に、有料で短期集中のスポーツの講習を行なっている大学も少なくない。かくいう筆者も、恥ずかしながらハワイ大学時代には夏休みにヨットの入門講座を受講して筆記・実技試験に合格の上、小型ヨットの初級操舵免状をいただいたのであった。
さらに、teaching assistant (TA)やresearch assistant (RA)として大学のために働いているなら、大学の職員向けの各種の講座に参加できるかどうかも調べてみられるとよかろう。「職場内のトラブル解決法」などのコースがあったりして、将来大学関係の仕事につきたいと思っているなら参考になる話が聞ける。
外国語↑
もしあなたが、「新しい外国語を勉強するのが好きで好きでたまらない」というタイプなら、外国語のコースを受講してみられてもよいであろう。大学や先生にもよるが、概して北米の外国語教育は日本にくらべるとクラス規模が小さく会話や音声面を重視しているので、何か国語もペラペラになりたいという方には格好の機会ともなろう。TAを含めてネイティブの語学教師の比率が高いのも会話上達には有利である。
現に、筆者がIllinois大学にいたころに、理論物理学専攻のアメリカ人大学院生が趣味で日本語をとりはじめ、立て続けに学年最高点を取ったことがあった。夏学期の1年生対象の集中講座から始めて秋から2年生のコースに入り、翌夏にはMiddlebury Collegeの集中講座で3年生のコースに出たので、わずか14か月で日本語ペラペラになってしまった、という快挙の主である。ただし、外国語のコースはかなりの予習復習を要求するので、本業にさしさわらないようにご注意申し上げる。(件の理論物理の学生は、頭もいいが予習復習もしっかりしていたようである。あれだけ日本語に力を入れながら、よく本業の物理の研究に差し支えなかったものである。「理論物理学の研究というのは頭の出来でほとんど勝負が決まってしまうので、さほど時間をかけないでもできるヤツはできてしまうのであろう。」と筆者は解釈して勝手に納得している。)
比較的安全な方法としては、すでにひととおり基礎文型を勉強したことのある外国語をもう一度初歩からとりなおすと、負担はかなり軽くなる。初級の外国語クラスにいて一番こわいのは、今授業で何をやっているのかが皆目わからなくなってしまうことである。簡単にでも基礎文法を学んだことがあれば、そういう事態だけは避けられる。例えNHKのテレビ外国語講座を一年間続けて見ただけ、という程度の準備でも、全く何も知らない学生にくらべれば有利なことは間違いない。
反面(もちろん大学にもよるが)、北米の語学教育は概して日本にくらべれば口頭でのコミュニケーションを重視するので、初級のコースといっても学ぶべきことは数多くあると思う。たとえば高校で1〜2年スペイン語を勉強してメキシコに行ったこともあるというような学生が初級のスペイン語クラスに顔を出していることもあるから、油断はしていられない。
授業には出ないにしても、同じ大学に留学している外国人留学生と仲よくなって会話の練習をさせてもらうことも可能である。スペイン語(主に中南米から)、中国語や韓国語のネイティブなら、大抵の大学にいる。(TexasやNew Mexico、Florida、California、Arizonaなどでは、住民の中に占めるスペイン語人口の比率もかなり高い。 )それに比べるとヨーロッパ、特にフランスからの留学生は少ないような気がするが、カリブ海に浮かぶHaitiはフランス語圏だし、アフリカからの留学生にも流暢なフランス語を話す人が多い。休みには、地つづきでフランス語圏のQuebecやスペイン語圏のメキシコに旅行することもできる。
人気外国語ランキング↑
外国語科目を履修している現役大学生(短大を含む)の数(1990年秋学期の統計)をもとにアメリカ人に人気のある外国語のランキングを作ると(出典:ADFL Bulletin, Vol.23, No.3, Spring 1992)、
- スペイン語(50万人)
- フランス語(25万人)
- ドイツ語(10万人)
- 日本語(5万人)、ロシア語(5万人)
という順番になる。(恐らく今なら中国語の履修者がかなりの数にのぼっていることだろう。)
ドイツ語↑
英語国民にとってのとっつきやすさやドイツの政治経済的底力を考えると、ドイツ語が意外なぐらいに少ない。(昔は、ドイツ語を履修する学生が一番多かったそうだ。)ドイツ系住民はアメリカ社会の中で最大勢力であるし、アメリカ社会のシステムはドイツから実に多くを取り入れているのであるが、庶民のレベルではそれを実感する機会もあまりないようである。2度の世界大戦で米独が敵味方にわかれて戦ったことも、マイナスに作用したようである。(「敵性語」排撃は日本だけの専売特許ではなかったーー参考までに、ハワイの日系人が太平洋戦争を境に日本語離れしたのにも、類似の背景がある。)皮肉なことに2人の大統領を輩出したルーズベルト家はもともとドイツ系なのであるが、第一次世界大戦でアメリカがドイツに宣戦布告したため、世をはばかってそれまでのドイツ系の姓を改めたのだそうである。(とはいっても、現在のアメリカでドイツ系の住民が差別を受けているというようなことは勿論ない。)
フランス語↑
それにくらべてフランス語の健闘は見上げたものである。フランス語履修者の比率といえども全盛期にくらべれば減少しているが、それでも欧州諸言語の中での比較優位は歴然としている。これにはフランスの官民あげての文化普及努力ももちろん貢献しているが、筆者の独断と偏見によれば、多少わけのわかったアメリカ人は、欧州大陸文化の代表たるフランスに対していくばくかの文化的な引け目(といって悪ければ「郷愁」)を感じることがあるようである。連邦政府の憲法にフランスの啓蒙思想からの影響が色濃くあらわれていることをはじめ、ファッション、映画、高級ワイン、美食、とフランス文化の影響は何といっても「派手」で目立つ。それに、国連をはじめ外交の場ではまだまだフランス語の威光にあなどりがたいものがあるのは、ご存じのとおりである。1996年、お膝元のジョージア州アトランタ市で行われたオリンピックの開会式ですら、選手団入場の場内アナウンスはフランス語が先で英語が後だった。何でも自分達が一番でないと気が済まないアメリカ人も、フランス文化には一目おかざるをえないのである。2000年のシドニー五輪にいたっては、英語のアナウンスすらなかった。(余談だが、「御本家」のイギリスに対する遠慮もまだ残っている。アメリカの会社が制作する映画の主人公 James Bond をわざわざ英政府MI6に勤務させイギリス英語をしゃべらせるのも、分家意識のあらわれととれなくはない。)
スペイン語↑
履修学生数第一位の外国語はスペイン語であるが、これはメキシコと地つづきで国内に数多くのスペイン語系住民をかかえるというアメリカの国情から、当然とも言えよう。(一般にアメリカ人は外国語が苦手だと思われているが、スペイン語が話せるアメリカ人はラテン系住民以外でも結構いる。)
日本語・中国語・ロシア語↑
日本語の履修学生数は昨今頭うち状態で、今伸びているのは中国語である。もっと最近の統計数字が手元にないのが残念だが、とにかくアメリカの大学での外国語の履修者数はマスコミの報ずるその時々の国際情勢を敏感に反映する。天安門事件(1989)のあと、中華人民共和国のイメージが悪化して中国語の履修者数が減少したことはその典型である。逆に、かつてソビエトが1960年代の初頭、アメリカに先がけて人工衛星をうちあげた時には、「ソビエト侮りがたし」の念からケネディ政権の胆入りもあって一気にロシア語ブームがおとずれたものの、長続きしなかったそうである。皮肉なことに、冷戦が終わって米露関係が改善してから、ロシア語の人気は落ちている。「アメリカ人はロシアを敗者と見下しているから、ロシア語に興味がないのだ。」とあるロシア人教師が自嘲したとか…。
アメリカ人のバイリンガル観↑
なお、アメリカでは概して外国語ができるということが日本ほど高く評価されない。「子供をバイリンガルに育てると知能に障害が生じる。」なんて俗説がいまだにまかり通っているぐらいである。宮沢喜一元首相みたいに、政治家が語学堪能を売り物にするなんてことも考えにくいことである。むしろ外国語をペラペラしゃべる奴は「庶民」(people)の代表ではないとみなされて選挙の時マイナスになる危険すらある。(実質的には少数のエリートが引っ張っている国でありながらたてまえとしては「庶民」を強調する二面性もこの国の特徴の一つといえよう。)
共和党のGeorge Bush元大統領(任期1989-1992)はフランス語が堪能だったが、populistのイメージを演出するためそのことは極力おもてに出さなかった。そのBushを相手に1988年の大統領選挙戦を争ったMichael Dukakisは民主党大会での党候補指名受諾演説でスペイン語が達者なところを披露したが、これは「外国語」を話したというより、国内の大票田のCaliforniaやTexasに多いスペイン語系住民へのサービスである。
不思議なことに、アメリカでは女性が外国語をしゃべっても、男ほどには反感をかわないようである。(これは日本でも同じか?)ジャクリーヌ・ケネディは、夫J. F. ケネディ大統領とともに欧州諸国を歴訪したおり得意のフランス語を駆使して内助の功ならぬ外助の功を大いに発揮したとか。
アメリカの外国語使用状況についてさらに詳しく知りたい方は、
Foreign Language Education in the U.S.
http://www.ncela.gwu.edu/pubs/resource/foreign.htm
へどうぞ。
英語公用語化運動:majorityの眼とminorityの眼↑
意外といえば意外だが、今のところ英語を米国の公用語として定めた成文法は存在しない。もちろん憲法や連邦法は英語で書かれているが、そうしないといけないという規定はないし、例えばラテン系住民が多い地区では、役所の中でも英語とならんでスペイン語で書かれた説明文書にお目にかかることもある。さらに近年、アメリカでは非白人(特にラテン系:ラテン系アメリカ人は人口統計などでは"white"とは別の範疇になっている)の比率が急速に上昇し、21世紀のなかばには非白人が人口の過半を占めるであろうという予測もある。
これが目障りだというわけか、英語を公用語(the official language)として指定する法律を作ろう、という運動が広がっている。「アメリカ人としての権利が欲しければ、まず英語を勉強しろ。」ということにもなる。この案が通れば、役所が法令の副文をスペイン語やハワイ語で準備することも違法になりかねない。
これには反対意見も根強い。学術・職能団体でこれに反対している中核は言語学者や外国語教師の団体である。
この件についてはベトナム出身でカリフォルニア在住のアメリカ人からおもしろいコメントを聞いた。
「これまで英語を身につけるだけでも大変だったのに、この上スペイン語まで勉強させられるのではたまらない。英語のネイティブなら高校生の時にスペイン語の授業に出る時間もあるだろうが、我々移民にはそんな余裕はない。英語だけで用が足りるように保証してほしい。」
つまり、英語をan official language に指定してほしいということなのだろう。(もちろん現状でも、英語はほとんどの地域ではde facto official languageといえる。)そういえば、テキサスでは警察に就職するためにはスペイン語ができると有利なのだそうである。土地柄を考えると当然ともいえる反面、こういうことがあらゆる職種に広がったら、確かにアジアからの移民は不利である。
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