北米留学上級技術マニュアル - 教授、スタッフとの関係
目次
- 教授を何とよぶか
- 「目障りな学生」ではなく、「手強い学生」を目指そう
- いい推薦状を書いてもらうためには
- Academic adviserとの関係
- 教官の知恵を借りる
- 教授にアプローチする
- Mentorとは
- 論文投稿は学生の勝手
- Graduate adviserって
- どうしようもないsecretaryに対処する法
- コンサルタントを活用
- 募金を求められたら
教授を何とよぶか↑
CaliforniaやHawaiiのように人間関係がcasualな土地柄だと、学生と教授がお互いをfirst nameで呼びあうことが広くおこなわれている。大学院生はもちろん、学部生ですら教授をfirst nameで呼ぶシーンに出くわすこともある。相手によっては自分より20歳以上も齢上の正教授を"Mike"とか"Jack"とか呼ぶのだからはじめは違和感があるが、やってみるとすぐ慣れるものである。
もっとも、同じ学科の中でも学生にfirst nameで呼ぶことを許さない教授もいて、これがややこしい。Midwestなどへ行くとカリフォルニアなどよりは人間関係が conservativeなので、学生は(博士号をとるまでは)教授を"Professor 〜"と呼ぶことが多いが、そういうところでも、西部で教育を受けた若い先生はfirst nameで呼ばれることを好んだりすることもある。さらに、普通の学生には"Professor 〜"と呼ばせるが自分のアシスタントにはfirst nameで呼ばせる、というように区別する先生もいる。これはもう、日本語の敬語と同じぐらいややこしいのである。いや、日本と違って世間の「相場」にあわせればうまくいくものとも限らないから、事情がのみこめるまでは日本以上に気を使わねばならないとすらいえる。
First name で呼んでもらいたがっている先生に"Professor 〜"と呼びかけたら"Call me Jim."とか言ってくれるが、逆に"Professor 〜"と言ってほしい先生をfirst nameで呼んでも、その場で注意してくれることはほとんどない。(ご機嫌をそこねるだけである。)このあたりは、先輩やsecretaryから事情を聞き出しておくにこしたことはない。判断に迷ったら、とりあえず丁寧な呼び方で通して様子をうかがう方が無難ではある。一方、学生がsecretaryに話しかける時は、九分九厘、first nameで呼んでも大丈夫であろう。
なお、北米で日本人学生が日本人教授を呼ぶときは、ほとんど判でおしたように「〜先生」が通り相場である。日本の大学院では近年、院生が教授を「〜さん」と呼ぶことも珍しくないそうだが、このあたりは、北米の日本人社会における言語慣習が化石化しているのであろうか。
また、英語で誰かと話しているときに、年配の日本人の教授に言及する場合何とよぶか?英語で話しているなら英語式で、とわりきって抵抗なくfirst nameを使う人もいるが、「300%純正日本人」を自認する筆者は今もってこれができない。どうしても"professor 〜"とか"〜 sensei" とか言ってしまう。特に、本人が目の前にいると、first nameで呼ぶことには大変抵抗がある。このあたりは個人差が著しいので、調べてみるとおもしろい社会言語学の論文が書けるかもしれない。
「目障りな学生」ではなく、「手強い学生」を目指そう↑
北米は契約社会だから、学生も明文化された学則などには忠実に従うものかと思っていたら、実態を知って腰をぬかす。一方、「自己主張がアメリカ文化の基本」というのは額面どおりである。北米の大学で教える経験をしてみるとよくわかるが、必要出席回数や宿題のしめきりなど、学期の最初に配布したコース・シラバスに明記してある規定を守らなかったために成績が悪くなったり不合格になった学生が、しばしば文句を言いにやってくる。その時、「シラバスに、はっきり書いてあるでしょ。」と言っても納得せず、しつこくゴネる学生があとを絶たない。病気や就職面接など、きちんとした理由があったことを証明する書類を提出してくれればこちらも救済処置のとりようがあるのであるが、そういう準備もせず、後になってから「先生のやり方は厳しすぎる。」とただただゴネるわけである。こういうことを繰り返していれば、確実に教官に「目障りな学生」と悪い印象を与えることができる。世の中、嫌われて得をすることはまずない。
逆に、こういう交渉をもっとスマートにやりながら自分の主張を通すためには、
- 履修規定(必要単位数、科目登録取消期限など)を学期開始以前に徹底的に研究しておく。
- Syllabusなどに書いてある規定は配布されたらすぐに熟読する。宿題の締切などの重要な日付はカレンダーに転記していつも目につくようにしておく。
- 学則やSyllabusをたてに権利を主張する場合は、当該の条項を随時提示できるよう、文書を持参する。重要な箇所にはあらかじめマーカーで印をつけておく。メールでやりとりする場合は、該当する条項を引用したうえで自分の立場を主張する。
- 緊急連絡が必要な場合に備えて、教官の連絡先(学科オフィスの電話番号も含めて)は、常時携帯する。( Syllabusの縮小コピーを作って能率手帳にファイルし常時携帯していた学生がいたが、なかなかいいアイデアだと思う。)
どうしても規定にしたがえない事情がある場合は(たとえば中間テストの日に就職面接があって受験できない等)、
- なるべく早く教官に相談する。(事前にわかっている時は、必ず当日以前に承諾を得る。交通事故のような不測の事態で事前連絡ができなかった場合も、可能な限り早く直接連絡をとるか、伝言を残す。)
- 正当な理由があることを証明する書類(医者、警官、就職面接の面接官、牧師などに頼んで書いてもらう)を、もらっておく。その書類を教官に提出する場合は、コピーをとって手元に残しておく。提出する証明書類には、「添付書類にある通り〜の理由により、〜月〜日〜曜日(〜学期第〜週)の〜の授業に出席できませんでした。不可抗力ですので、出席扱いにしてください。」などというメモを添える。(クリップは外れやすいので、ホッチキス止めした方がいい。こういう時に備えて、ホッチキスは常時携帯しよう。衣服が破れた時なども、ホッチキスで応急処置ができる。)
- 教官のオフィスを訪ねる時には、事前に予約をとる。これは、 用件が込み入っていて時間がかかりそうな場合に特に重要である。(オフィス・アワー中なら予約が絶対必要というわけではないが、予約をとっておいた方が先客とかちあわず、安心ではある。)できれば簡単に、何の件で話をしたいのかを事前に言っておくと、教官も対応しやすい。
- オフィス・アワー終了間際にかけこむのは、極力避ける。
- 教官に「うちに電話してください。」という伝言を残すのは、よほどの緊急事態に限る。携帯電話にかけてくれと頼むのは特に失礼である。(教官の落度でなにか不都合が起きたというような場合でもない限り、一般には教官が学生に授業のことで電話をするというのは異例である。特に、大クラスの場合、教官が学生の伝言に応えて一々電話をくれるという事態はほとんどないと思っておいた方がよい。)
- 返却された宿題、レポート、テストなどの結果は整理して保存する。(宿題やレポートは、提出前にコピーをとって手元に残す。)
などの配慮が必要だ。
ある学生に大して特別な措置をとるにあたって教官が一番気にするのは、他の学生も同じようなことを言ってつめかけて来て収拾がとれなくなるのではないか、逆に今回だけ特例として認めて他の学生には認めないとなると、「えこひいき」をしているととられるのではないか、ということである。──教官が"Capricious grading"をしたとして訴訟に持ち込む学生も、珍しくない。「えこひいき」があったという証拠があると、教官側は裁判で非常に不利になる。
したがって、特例を認めても教官が後で困らないような理論武装と証拠をこちらから準備してあげると、教官としても柔軟な姿勢がとりやすくなる。別に難しいことではなく、要するに教官には教官の都合があることを頭に入れて、常識を守った行動をとればいいのである。教官としても、こういう手続きを迅速にきちんとこなし理路整然と権利主張する学生は「手強い」感じがするもので、うかつなことは言いにくくなる。関連書類やスケジュールを整然と管理しているところを何かの機会にさりげなく見せておくと、ますますもって「手強いやつ」という印象を与えることができる。(教授の中にもそういうことが苦手なやつが結構多いのである。)
いい推薦状を書いてもらうためには↑
推薦状を頼むような場合でも、「あしたの朝9時までに頼みます。」なんていう言い方ではなく、少なくとも投函期限の2週間ぐらい前には頼みたい。たとえ推薦状の規定用紙がなかなか届かず実物を手渡せない場合でも、推薦人になってもらう承諾だけは早目にとっておかれたい。(前年度の用紙だけでも入手できればそのコピーを教官に渡しておくと、あらかじめ文案を練る時間の余裕もできる。)
応募essay、当該教官の授業で受けたテストの答案やterm paper、最終成績など、参考になりそうな資料を一揃え持っていき、求めに応じてそれを教官に預けるようにすれば、「心利きたる者」という印象を与えることができるであろう。(よほど強烈に印象に残る学生でない限り、教官はしばしば褒め言葉を探して苦労するものなのである。したがって、学生がこういう「ネタ」を揃えて持ってきてくれると、非常に助かる。必ずしも推薦状の中でその資料そのものに言及するのではなくとも、資料を見返しているうちにその学生が授業中にした、キラリと光る発言を思い出したりするものである。)
なお、教官によっては、推薦状の中で何を強調してほしいか、聞いてくることがある。こういう時は遠慮なく希望を伝えればいいのだが、たとえ相手がきいてこなくても、ぜひこういうことを書いてほしい、という場合もある。それをあまりずばりと言ってしまうのは英語圏でも不躾ととられかねないが、「先生の授業でこういう点が大変勉強になりました。先生のおかげで、〜に眼が開かれました。今後も、こういう研究を続けていきたいと思います。」というような遠回しな言い方で、相手に気持ちを伝えることは可能である。
最後に、「あいつは頼み事をする時だけやってくる」と教官に思われるよりは、普段から熱心に勉強に取り組んでいるという印象を与えておいた方が絶対得である。1度や2度は質問をしに教官のオフィスを訪ねておくと、推薦状に書く「ネタ」もあわせて提供できることになる。
もっとも、さしたる用もないのに異性の先生のオフィスにあまり足繁く通うと、他に目的があるのか?と怪しまれることもあるので難しい。特に、相手が大学院生のTAで学生とあまり年齢が離れていない場合、とかく周囲が気を回しやすいものである。妙な誤解をされたくないと気を回した男子学生(独身)が、女性TAの部屋を訪ねる時「お世話になっている先生のために、細君が作ってくれたんです。」とケーキを持って行ったという伝説があるが、通常はそこまでやる必要はなかろう。こういうウソがばれると、双方とも後で気まずい思いをする。
ついでに書いておくと、アメリカでは同性愛者であることをcoming out している教授も珍しくない。その場合、一つ上の段落の「異性」を「同性」と読み替える必要もあろう。
Academic adviserとの関係↑
Adviserを選ぶ↑
入学許可と同時にアドバイザー(academic adviser)も学科から指定されることが多いが、その後学生の興味がかたまってくるにつれて、adviserを変えることを奨励する大学もある。(と言っても、毎学期変えるような性格のものではない。)
自分でadviserを選ぶチャンスがあるなら、まず、学問的興味が一致していることが重要なのは勿論だが、先輩からの評判も検討してみられたい。論文の指導などだけでなく、専門家として必要な常識(例えば、学界の裏事情、業績作りの戦略、就職情報など)を適切なタイミングで教えてくれるような親切な先生もいれば、そういうことに全く無頓着な先生もいる。知らない当人である学生としては、どういう常識が自分に欠けているかに気付くのは難しいから、他人に言ってもらえなければずっと知らないままで損をし続けることがよくある。なまじ卒業してもっともらしい肩書きがついてしまうとわざわざ注意してくれる人も少なくなってしまうから、学生の間にできるだけのことは身につけておくべきである。したがって、こういう点で総合的に指導してくれる人(mentor)が身近にいるかどうかによる差もばかにならない。
自分の専門分野を研究している教授がたまたま大学院生をたくさんかかえていて手一杯で、他のadviserに回されてしまうこともあるが、そうなったらそこで悲観せずこの機会をいい方向に転化することを考えよう。自分と同じ領域を研究しているadviserだと、一から十まで教えてくれる反面、視野がどんどん狭まって、学問全体の中で自分のやっていることがどういう位置にありどういう意義を持っているのか、など考える余裕が失われてしまうこともある。少し離れた分野を研究している、見識のある先生だと逆に、第三者的な観点から大所高所に立ったアドバイスをしてくれたりするものである。学位論文研究に本格的に取り組むころになって、そのトピックの専門家から指導を受けたいと思えば、academic adviserとは別の教官に論文主査(thesis adviser)を頼むことも可能である。
また、時に物凄く理不尽なことを言って学生を困らせる教授もいるものである。そういう事態から身を守るためには、まずもってヘンな先生に近寄らないのが一番である。逆に、学科内で発言力のある先生をadviserにすると、色々な点で護ってもらうことも期待できる。不幸にして勉学が予定どおり進捗せず弁明が必要な場合、これは特に重要である。(病気、交通事故、出産、実験設備の故障、research grantの打ち切り/縮小、フィールドワークを計画していた国の政情悪化など、様々な理由でこういう予定の狂いが生じうる。本人の努力だけで防げるものではないだけに、「当初の計画は遅れるもの」という前提で二段構え、三段構えの防御策を講じておいた方がいい。)
adviserをかえるつもりなら、まず新しいadviser候補に会って了解をとってから、今のadviserにその旨を話そう。大きい学部の長所のひとつは実は、前のadviserと喧嘩別れしても次に拾ってくれる人が探しやすいという点である。(といって、喧嘩を奨励しているわけではありません。)
教授も院生指導は素人↑
教授に対して、大学院生を指導する上での手順や心構えなどのトレーニングを組織的に行っているような大学は北米にはほとんどない。(日本にもない。)教授同士で指導方法について意見交換することもそんなに頻繁には起こらない。大多数の教授は、自分が大学院生の時の経験を頼りにみよう見まねでやっているのである。また、adviserとしての指導に対する評価基準も確立していない。ましてや、博士号とりたての若い先生の場合、院生指導については全く素人と考えておいた方が安全である。
したがって、一応は相手の顔をたてながら、建設的な提案はするべきである。我慢に我慢を重ねて最後に喧嘩別れ、という最悪のパターンに陥らないためには、早くから自分の希望はadviserに伝えるようにしておこう。(もちろん、希望を全部かなえてもらえることはむしろ稀だが。)何度言ってもだめで我慢しきれないなら、それこそadviserをかえることを真剣に考えた方がいい。
素人が玄人を指導する?↑
学生の研究領域が自分の専門といくらかずれている場合、adviserもそれに関連する文献を全部読むことは不可能に近い。したがって、その研究課題に関する個別的知識では学生の方が師匠より詳しいということも大いに起こりうる。大学院というのは、しばしば「素人」が「玄人」を指導するというヘンな社会なのである。
こういう場合、学生はadviserから技術的な詳細について支援を受けることはあまり期待できない。とはいえ、研究計画のたてかた、立論展開のしかた、説得力のある論述方法、学界全体の動向からみた研究戦略などの点ではadviserから有益な助言をしてもらえることも珍しくない。実はadviserの学者(scholar)としての識見・底力が問われるのは、むしろこういう場合である。
教官の知恵を借りる↑
授業のわからない点を質問に行く時などは、疑問の点をきちんと整理してから教授の部屋に行くべきことはもちろんだが、自分でも問題点がしぼり込めないままに、アドバイスを求めたい場合もあるものである。例えば、学会に出てそこで就職探しをしようというような場合、経験がなければどういう状況にでくわすか、皆目見当がつかないのが普通である。そういう時、経験豊富なadviserなら、「こういう点に気をつけた方がいい。」という、いいアドバイスをくれるかもしれない。そういう時は、事情を手短かに説明したうえで、"Do you have any suggestion?"と水を向けるとよい。こうやって、相手の知恵が要領よく拝借できる。
なお、こういう場合には一人だけでなく複数の人間に意見を求めるのが賢明である。いくら経験豊富な先生でも、時によって判断がかたよったり重要なポイントを見逃したりすることがあるものである。そういう場合、複数の人の、それぞれ異なった角度からの意見を聞いた上で最終判断は自分が責任を持ってするのが危険を最小化する方法であろう。(これは勿論、本書で紹介している留学技術にもあてはまる。読者の参考に供するため、筆者は本書の中で敢えて自分のバイアスをぶつけているので、これはあくまで一つの参考意見として、読者ご自身の状況に適した最終判断をなされたい。)その自分の判断を正しく下すためには、アドバイスをもらう時に、結論だけでなく、「なぜそうした方がいいのか。そういう選択をすることによるマイナス面はないか。」をしっかり聞き出しておくことが肝要である。
教授にアプローチする↑
「授業に出て、試験をうけて、卒業」というだけではせっかく留学した値うちが半減する。教授というresourceを有効利用することを考えるべきである。優れた研究者と一緒に何か研究をやった経験は、本や講義には替えられない。自分の興味に近い分野の研究をしている先生が見つかったら、話をしに行くといい。入学後、教授を訪れる最初のチャンスは、大学に到着した直後である(新参者の強味!)。「はじめてこの大学に来ましたが、先生の研究に大変興味がありますので、ぜひ最近の研究について教えてください。」といってオフィスに行ってみるといいだろう。事前にその先生が書いた論文を読んでおくことが望ましいことは、言うまでもない。
大学についてから、何学期か経ってしまっていて今さら用もないのに行きづらいというなら(先方はそんなことは気にしないと思うが)、「先生の授業を来学期とろうと思っているのですが、どんな内容か教えていだたけませんか。」というアプローチもある。あるいは、その先生の授業をとりはじめてから、質問にいくとかterm paperの件で相談にいくこともできる。さらにterm paperを書きおわったあと、「この研究をさらに発展させたいので、継続して指導してもらえませんか。」とか、「この分野で続けて研究をしてみたいので、何かトピックを助言していただけませんか。」とかいう口上も可能である。「Independent study を指導してくださいませんか。」というのも、よく使われる口上である。
大学の研究者は、ほとんど誰でも有能な共同研究者を欲しているから、「一緒に研究したい。」と申し出れば、興味が一致していている限り喜んで受け入れてくれる場合が多い。特に若い研究者はresearch assistantを雇うだけの研究grantを持っていないことがよくあるから、ただで研究戦力が増強できれば願ったりかなったりである。学生の側からみるとそれが将来research assistantshipにつながれば万々歳だが、はじめから金だけが目当てだと思われると警戒されるので、これは前面におしださない方がいいだろう。(もし向こうから話を切り出してきたら、「将来、そういう可能性があれば、興味がある」というぐらいのことは言っておいていい。教授としても、自分の研究のことがよくわかっている人間を雇った方がいいのは当然である。学生に経済的な余裕がないことも、大学の先生ならよく知っている。)
なお、ただ働きで教授の研究に本格的に参加したなら、その研究が発表される時に共著者(通常はsecond author以下)になる権利がある。このあたりをいい加減にして業績を一人占めにするような教授は、警戒した方がいい。(一方的に利用されるだけに終わる可能性が高い。)こちらがresearch assistantとして給料をもらって研究の手伝いをしているなら共著者になる「権利」はないが、その場合でも名前を入れてくれる教授が多い。
一方、学生が自分の時間内に書いたterm paper projectやthesis, dissertationを学会や雑誌に発表する場合にも、研究の経過で指導教官に大いに手伝ってもらったなら、共著者になってもらうのが礼儀とされている。(単に草稿にざっと目を通してコメントをくれただけ、という程度ならその必要はない。論文のacknowledgements(謝辞)の中で一言感謝の言葉を述べるだけでよいであろう。)正面切ってこういうことを教官と交渉するのが苦手なら、graduate adviserという大学院生指導の世話役みたいな教授がいるはずだから、まずその人に相談してみられたい。
なおセコいことを言うと、指導教官がその分野で非常に高名な大御所クラスの大先生である場合、学生の方から頼んででもsecond authorになってもらった方がトクな場合すらある。自分の名前だけではあまり読んでもらえない論文でも「〜大先生との共著」ということになれば、その分野の研究者は必ず目を通してくれ、他の論文に引用してもらえるチャンスもひろがるからである。そうやって名を売った後で今度は単著論文を発表すれば、多くの人が読んでくれる(だろう)。
Independent Study↑
Independent Studyというのは科目名である。大学によっては、Directed Readingとか、他にも色々な名前をつけていることがある。要するに、学生が通常の授業の枠外で個人的に教授の指導を受けて研究をするなり、トピックを絞ってreadingをするなりし、単位を出してもらう、という制度である。学生の方は「この人こそ」、と見込んだ師匠から親しく指導を受けることができるメリットがあるが、気を抜いていたらいっぺんに見抜かれてしまうから、それなりに覚悟はいる。一方、教授としては、学生のために個人サービスをすることになるわけであるが、次の学期に新しいコースを出そうと考えている場合など、少人数の学生を相手に試運転の意味でIndependent studyをやってくれる場合もある。
進め方は教授に拠って千差万別で、毎週日を決めて何時間かみっちり指導する先生もいれば、テーマを決めたあとは学生が勝手に研究を進め、最後のレポートだけ採点しておしまい、という場合もある。単位稼ぎが目的なら、後者の方が楽かもしれない。
瓢窃について↑
北米圏でも、弟子の集めたデータを使って師匠が自分一人の名前で発表してしまうということは時に起こりうる。ただし、それが非難されるべき行為であるという建て前は確立しているのであまり露骨にやるのは控える傾向があり、社会的な抑止となっているようである。それにアメリカの学生は権利意識が強いからうかつにデータを無断借用したりしたら師匠と言えども告訴されかねない。
逆に学生の学位論文執筆にあたっては、研究デザインを考えたりデータを解釈したりする中核的な部分では学生本人よりもむしろ指導教官の貢献の方が大きい場合がある。そういう研究の成果を雑誌などに発表する場合でも、指導教官をfirst authorにしてはあまりにミエミエでお互いかっこわるいので、学生がfirst author、指導教官がsecond (last) authorになるのが慣例のようである。
Mentorとは↑
Mentorというのは日本語に訳しにくいことばだが、「師匠」と重なるところがあることは間違いない。ただ単に授業を受講したり大学の手続き書類にサインをしてもらったりするだけでなく、「学問上のことあるいはそれ以外の広い意味での専門家としての成長に必要なことについて継続的にアドバイスをしてもらう相手」と思っていれば大きな間違いはないと思う。映画「スターウォーズ」に出てきた超能力者ヨーダや「カラテキッド」の宮城翁は、ある種のmentorのイメージをあらわしているようである。
そのmentorがあなたと同じ研究分野で仕事をしているなら事情をわかってもらいやすいので話が早いが、たとえ多少分野が違っても大所高所からの助言をしてくれる人がいると、とりかえしのつかないような大きな間違いをする危険は軽減できる。逆にたとえ学問的には優れていてもあれこれ相談を持ち込む気がしない相手もいる。もし読者が在学中に「この人こそわが生涯の師」と確信できる人にめぐりあえたら、卒業後も連絡をたやさないようにすることである。もっとも、就職した後でもその職場での先輩教授にmentorとしての助言をしてもらうことは可能である。ただ、同じ職場で「同僚」として働く関係になるとあれこれ余計な力学が働いてしまい、助言をもらいにくくなることもある。(たとえば「この職場を辞めてよそに移りたい」という相談を所属学科の学科長にするのは度胸がいる。)
もちろん、mentorは一人に限る必要はない。狭い研究上のことではA教授、長期のキャリア作戦ではB教授、研究資金獲得のことではC教授、というようにいろいろな人から助言をもらうのはさしつかえない。極端にいえば自分と全く職種の違う人間や家族が最良の相談相手になることだってもちろんありうる。たとえ自分より若くても、話していると不思議に元気が出たり智恵が湧いたりする相手だっているかもしれない。(こういう人生の「コーチ」業がいまアメリカで流行っているのである。)とはいえ、やはり自分の抱えている問題をよく理解した上で助言してくれる相手を探すなら、経験豊かな先輩が多くの場合頼りになることは確かである。
いずれにせよ、相手の時間を無駄にしないよう話をまとめてから相談すること、将来自分が逆に相談を受ける立場になったら快く助けてあげること、ぐらいは常識だろう。
論文投稿は学生の勝手↑
日本の風土だと、学生が授業の課題として書いたタームペーパーを学術雑誌に投稿するにあたってはあらかじめ担当教員の承諾を得るのが不文律のように思われている。しかしアメリカでは、自分の判断で勝手に投稿してもそれが表立って問題になることはほとんどない。
もちろん、論文の中核的なアイデアなど実質的な意味でかなりの貢献を担当教員がしてくれたなら共著者になってもらった方がいい場合があるし、research assistantなどの立場でお金をもらって集めたデータなら、勝手に自分の名前で投稿してはいけない。このあたりは常識を働かそう。
いずれにしても、投稿した原稿が採択された場合にはそのことを報告するぐらいは最低限の礼儀である。"Congratulations!"と言ってもらえるのは気分がいいものだし、担当教員としても、「この授業の課題として学生が書いた論文が雑誌に載る」というのは自慢のたねになる。
なかには、事前に「この論文を投稿しようと思う」と相談すると改善に向けてコメントをくれる先生もいる。そういう場合は大いに力になってもらおう。
逆に、教員に酷評されたペーパーを学術雑誌に載せて鼻をあかした("sweet revenge")学生もいるようである。
Graduate adviserって↑
Chairperson(学科長)やAcademic adviser(指導教員)とは別に、Graduate adviserという役職を設けている大学院専攻課程が多い。簡単にいうと大学院生のためのよろず相談員である。たとえば指導教員との仲がこじれて当事者同士の話し合いでは解決が難しい場合など、Graduate adviserが間に入って仲裁をしてくれる場合がある。
とはいっても実際にどの程度の熱意(と能力)で事態の解決にあたってくれるかは人それぞれだし、間に人が入ることで余計にこじれることがないとは限らないが、こういう役割の教員がいるということだけは頭に入れておこう。
どうしようもないsecretaryに対処する法↑
アメリカの大きい州立大学の事務職員採用は学科ごとに別々に行われ、給与水準もそれぞれ異なる。したがって優秀な人はどんどんいい仕事を見つけて昇進していく反面、最低レベルのsecretaryしか雇えない部署もある。運悪くそういうのにあたると、当然の仕事ですらやってくれないこともある。まずいことに、そういうひどいsecretaryは他所へ移りたくとも移れないので、いつまでも同じ部署に居残ることになる。そういうどうしようもないsecretaryに出会ってひどい扱いをされたら、次の手を試して見ることをお勧めする。
表情をひきしめて深呼吸をしたのち、懐からメモ帳とペンを取り出し、
"May I have your full name?"(「あんたの姓名は?」)
"How do you spell it?" (「綴りは?」)
"Who do you report to?"(「直属上役は誰?」)
と尋ねる。
この時、相手の目を見ながら、一語一語ゆっくり、はっきりと発音する。
そして相手の答えをメモするふりをする。(あるいは、実際にメモする。)これで、「お前の仕事振りのひどさを、エライ人に報告するぞ。」というシグナルを送っていることになる。この手をUniversity of Illinois在学中に使ったら、手のひらを返したように相手の態度が改まったことがあった。
万が一、この質問に答えないようなら、それこそおおごとである。
"I am ASKING your name."
とトドメをさしておこう。 そういう不埒な振る舞いの記録を詳細に残し(日付、時間、相手が言ったことば、できれば証人の名前など)、後で大学に提出するのが最後の奥の手である。 法廷でも、こういうメモは証拠として採用される。
さらに駄目をおしたいなら、
"Please write on a sheet of paper what you have just said."
と、書面に残すことを要求する。自分の判断が絶対に後で問題にならないという自信がない限り、ここでぐらっとくるものである。
コンサルタントを活用↑
まともなresearch university なら、統計処理やコンピューターの使用法に関して相談にのってくれる無料相談所をおいていることが多い。まとまった研究をしようと思ったら、こういう人のお世話にならないといけないことがよくある。一番大事なのは、こちらのかかえる問題を正確に理解してもらうことである。(あたりまえだが、ほとんどの場合統計コンサルタントはあなたの研究分野に関しては素人である。)実験や調査をしているなら、研究のデザインが一目でわかるような図表を準備して持っていくと時間の節約になろう。こういう風に、問題点を整理してから来てくれるクライエントというのは、コンサルタントから見て嬉しいものである。(これは、adviserに相談する時にもあてはまる。)相手も人間だから、気に入った相手に身を入れて相談にのってくれることはいうまでもない。
逆に、とりとめのない話し方をしたり、相談時間の終了間際に面倒な件をもちこんだりすると嫌われるもとである。このあたりは、常識で考えてもご理解いただけるだろう。場合によっては一人のコンサルタントとかなり長いつきあいになることもあるから、このあたりの人間関係には気を配っておいて損はない。(筆者もIllinois大学在学中は、重回帰分析を専門とする統計コンサルタントに3年ごしのお世話になった。専門家のサポートのおかげで必要な統計処理を終え無事結果が出せた時には、コンサルタントから「これで博論が出せるのね?」と言ってもらい、感激したものである。)
なお、複数のコンサルタントが交代で相談に応じている場合、それぞれの専門分野を聞き出し、自分のかかえている問題に一番詳しい専門家に相談するのが得策である。コンサルタントといえどもあらゆる問題の解決策を知っているとは限らない。自分の力に余る問題であった場合、あっさり「それは私にはわからないから、〜に相談しなさい。」と言ってくれれば話は早いのだが、なまじ妙な責任感の強いコンサルタントや意地っぱりのコンサルタントだと、あれこれ役に立たないことをやらせたりして、お互いに時間と労力の浪費になってしまう。
募金を求められたら↑
所属学科を通じて、学生にも寄付や募金を求められることがある。あくまで募金なのだから出さなくても御咎めがくることはまずないが、多少は出しておきたいというなら、どのぐらいの金額が適切かを指導教官など信頼できる人に尋ねてみよう。「こういう場合、教員なら〜ドル、大学院生なら〜ドル、学部生なら〜ドル」などだいたいの相場を教えてくれるので、それにあわせておけば場違いと思われないで済む。
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