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北米留学上級技術マニュアル - 英語学校から正規留学へ


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【以下に紹介するのは、筆者(佐々木)の友人・高木一氏(現在NTT COMWARE Co)が東海大学卒業後、イリノイ大学大学院で数学の修士号を取るに至る体験談である。現在は、数学理論を利用したネットワーク・システム開発にあたっておられる。高木氏の場合、日本の大学卒業後ただちにアメリカの大学院に入学したのでなく、英語学校、地元のコミュニティ・カレッジなどの経路をたどりながら英語力をつけ、大学院に進んだという苦労談がうかがえる。その七転び八起きの不屈の精神を大いに見習われたい。Tough student(「しぶとい学生」)というのは、たとえば高木氏のような人物をいうのである。】

私の体験

私は、1989年秋から1990秋までUIUC【University of Illinois at Urbana-Champaign】の数学科大学院で勉強してました。そこでは、MS【Master of Science】を取得しました。

入学までのエピソードがちょっと他の人とは違っているので、簡単にまとめましたので参考となれば幸いです。

留学の決意

留学を決意したのは、学部の3年になってからでした。日本の大学では、自分の勉強すべきことが見えなかったので海外でということに決めました。最初は、「何とかなるさ。」と簡単に考えていました。(後に、何とでもなりましたが。)この時、英語は全然しゃべれませんでした。専門分野のいろいろな先生方に相談しました。この相談とは、どうすれば簡単にかついい大学に留学できるかということでした。(今にして考えると、非常に勝手なはなしですが。)そこで、UIUCでPh.D.を取得された先生に出会いお話を伺うことができ一気に留学を実行しました。

【「まず、留学経験者の話を聞け。」これは留学を目指す者にとって鉄則である。高木氏の場合、志望校出身者に連絡をとることができ、ラッキーであったともいえよう。】

留学の準備

もともと、英語がしゃべれなかったのでTOEFLの点も良いわけがなく、しかたがないのでUIUCのIntensive English Institute(IEI)でF1【留学生ビザ】を取得し留学しました。

【学生として留学するからには、常にどこかの学校に所属していなければならない。正規の大学への入学が済んでいない者には、通常、大学付設の英語学校が受け皿になってくれる。しかし反面、貴重な留学資金を専門の勉強以外のことにつぎこむわけであるから、英語の勉強を日本で済ませるか渡米してからにするかは、綿密な資金計画をたてた上で決断すべきであろう。なお、大学付属の英語教育機関には入学前の準備/あるいは短期の英語研修を施す英語学校と、すでに入学している外国人学生の英語力強化をはかる補講機関とがある。ここで言及されているIEIは前者であるので、自前のF1ビザを出すことができるのである。】

IEIに入学する前、最低限行ったのが、とにかく偉そうな先生の推薦状を3通集めたことと、自分の卒業論文を英訳したことでした。その他は、お金を少々稼ぎました。

IEIにて

IEIに入学した直後行ったことは、DepartmentのAdvisorにアポをとり、自分のやりたいことを説明し、学部時代の成績表、推薦状を見せ、どうしてもこの大学に入りたいと交渉しました。その結果、TOEFLの点数が取れれば入れてやるといわれました。それで仕方なく、IEIでTOEFLの点数がとれるまで居ることになりました。

【敵の本陣に単身乗り込んで、直談判に及んだわけである。その度胸に脱帽。実際、交渉力のある人はこうやって多少の点数不足を補うことも可能らしい。反面、誰にでも勧められる作戦ではない。】

IEIを放校になる

IEIには、合計2学期ほどいました。IEIに居た時期は、大変に態度の悪い学生でした。VISA欲しさに所属していただけなので、自然とコースにも出席しなくなりました。そんなことをやっていたので3期目を申し込もうとしたとき、「君は、このコースにはもう受け入れられない。」と言われ「どこでも違うところを探してくれ。」と言い渡されました。

【う〜む。IEIといえどもあまりに出席が悪くなると在籍できなくなるという好例である。特に最近は語学留学を隠れ蓑に長期滞在を謀る外国人が少なくないので、語学学校側もある程度厳しい姿勢をうちださざるをえないのであろう。】

その瞬間に、これは日本に帰らなければならないのかという気分になりましたが、ここは何とか近所のParkland Collegeに潜りこむことができ危うくセーフとなりました。

【ここであきらめずに即座に次の手を打ったところが、エラい!】

Parkland Collegeにて

ここでの生活は非常に短いものとなりました。IEIを放校になった後、所持していたTOEFLの点数で辛くもParkland Collegeに滑り込みました。緊急を要したので、Parkland Collegeには直接行って担当者と交渉し、入学させてもらいました。

入学時の面接時に、「何でこの大学を選んだのか?」という質問がありました。これには、適当に回答したら、「そんな理由ではないだろう、本当の理由を聞かせてくれ。」といわれ「実は、UIUCに行きたいのだが、TOEFLの点数が取れないので、点数が取れるまでここに居させてください。」と回答したところ、「それが聞きたかった。」と言われ、同じような連中が多く存在することを認識させられました。

【Parkland College( http://www.parkland.cc.il.us/ )とは、University of Illinoisから自転車で行ける距離にある、community collegeの名である。本来の目的は社会人の再訓練(主としてビジネス・会計学・コンピューターなど)なのであるが、フルタイムの学生として在籍することも可能である。日本でいえば各種学校が拡充されて短大や四年制大学卒業の証書を出せるようになったようなものと考えておけばよい。率直に言ってあまり高尚な教育や研究をしているわけではないが、それでもフルタイムの学生として在籍している限り留学生ビザを出してくれるので、留学生の緊急避難先としては便利な存在である。また、こういうcommunity collegeで取得した単位を一定数まで他大学の卒業単位として移行できる制度があり、現に夏はParkland Collegeで単位を稼ぎ年限を縮めてUniversity of Illinoisを卒業した学生もいる。さらに、成績が思わしくないUniversity of Illinoisの学生は一時的にParkland Collegeに移り、そこでいい成績をとってGPAをあげた上University of Illinoisに戻ってくるということもあった。もっともこういう手がきくのはundergraduate studentまでで、大学院に入るとさすがにcommunity collegeで取った単位を移行できることはほとんど考えられない。ただし、英語教育学の修士を終えた後会計学に転科した学生が、prerequisite科目をcommunity collegeでとる、というようなことは実際にあった。】

そこで再び、F1を発行してもらいました。授業は、英語の授業をとりましたが、これもコースの半分くらいで出席をしなくなりました。理由は、ようやくTOEFLの点数を取得できUIUCに入れそうになったからです。

思わぬ落とし穴

Parklandに入って暫くした時、TOEFLのscoreが送られてきました。中身を確認するとなんと点数が取れているではありませんか。さっそくそれを持って「点数を取れたら入れてやる。」といったadvisorに会いに行きました。advisorは早速、手続きをしてくれましたが、ここで思いがけない事態が待ち受けていました。何と、半年前に半ばやけくそで出したTOEFLの点数が低いので大学から、入学許可を出せないと言われました。

【こういう杓子定規なことをいうのがイリノイ大学の悪いところである。なまじ低い点数を送ってしまったために、せっかく後で高得点をとったのに入学させない、というのでは本末転倒であろう。「普通の」大学ではここまでうるさいことは言わないはずである。しかし、安全策としては点数を確認してから大学に送ることも考えられよう。(その分、経費が余分にかかるが。)】

そこを何とかというしてくださいと交渉が始まりました。このままでは、コースが始まってしまうという焦りが出てきました。案の定コースも始まり、入学許可が下りないまま、コースを聴講するという状態になりました。

【どうしても受講したければ、こうやってとりあえず聴講して授業に遅れないようにしておくべきである。その際、先生に事情を説明しておくべきことはいうまでもない。】

アパートも中途半端で借りられず、友人のコロンビア人宅に居候し、そこから授業に出席することになりました。

【大学街のアパートは一年単位の契約なので、うかつに契約することができないのである。こういう時、平素の交友関係がものをいう。お友達を大事にしましょうね。】

結局、Departmentから大学側に説得してもらい、めでたく入学ができました。入学は、既に9月に入っており(UIUCは、8月末から始まることになっています。)コースの届け出の最終日に駆け込みですべてを行いました。結構、スリリングな入学でした。

【高木氏は、度胸もあるが、運もいいのである。読者はこのような綱渡りをしてはいけない。】

最後にこのような行き当たりばったりの留学はお勧めできません。間違えば、人生をだいなしにする可能性もあり、きちんと考えて準備をすべきだと思います。

【「自分は運がよかった」とわかっているところが高木氏の賢明なところである。】

しかし、アメリカというところは、何とかしようと考えて行動すれば、何とかできる国であることも実感できました。それができたことが私の留学の最大の成果かなと思います。

【確かに、規則では「だめ」と書いてあっても一応交渉してみれば、意外な抜け穴を発見できることがある。ともあれ、高木氏は卒業の暁にはあまた超一流企業からのきなみ誘いを受け、その中からNTTにエンジニアとして就職していまやハイテク産業の最先端で活躍しておられる。めでたしめでたしのハッピーエンドであった。高木氏については他にもご紹介したい武勇談が数々あるが、それはまたの機会に。】



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