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北米留学上級技術マニュアル - ノーベル賞


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 往年の日本のマスコミがノーベル賞受賞者をなかば神格化したような極端なことは北米にはないが、それにしてもノーベル賞の権威が他の賞を断然圧していることは間違いない。後から何とでも言える平和賞や客観的な優劣比較のしようのない文学賞はひとまずおくとして、他の分野、特に自然科学部門三賞の選考の厳正さは他に類をみないものであり、それだけに自校の教授がノーベル賞をとろうものなら、その大学はお祭り騒ぎになる。フィールズ賞(Fields Medals)やモートン賞も、部外者は「数学界のノーベル賞」、「電子工学界のノーベル賞」という解説を聞いてはじめてそのねうちがわかる。

権威の源泉

 スウェーデン、ノルウェーという辺境の小国やその王家(田舎の「殿様」)に全世界の知識人の畏敬を集めるだけの御威光があろうはずはなく、ノーベル科学賞の今日の絶大な権威はあげてその公正・厳正な選考過程と、過誤の少ない授賞実績によるものといえよう。賞金金額の多寡や授賞式典の華やかさ、創始者アルフレッド・ノーベルの個人的資質などは、せいぜい副次的な要因に過ぎない。

 現に、平和賞や文学賞の選考への反発から、自然科学部門も含めて“ノーベル賞の選考は「馬の小便」だ、そんな「愚劣」な賞を受け取ること自体がケシカラン、そんなものをもらったまま返上しないのは「俗物」だ”という調子で言いたい放題を言っている「反体制」言論人が日本にいるが、その当人が他のところでは“アメリカにくらべて日本の大学はダメだ。アメリカならノーベル賞をとった平教授が管理職より高い給料をもらうことも珍しくないのに、日本ではそういうことがない。”という趣旨の文章を賛意を込めて引用したりもしている。この人はまさか「馬の小便」をもらった「俗物」を高給で遇するべきだ、などと本気で考えているわけではあるまい。なんのことはない、「愚劣」どころかノーベル賞受賞科学者が世界の科学の最高水準を代表していることを結局は認めてしまっているわけである。

賞の中の賞

「そんなにノーベル賞が気に喰わないのなら、都合のいい時だけ引き合いに出すな。」などとケチなことは言うまい。非キリスト教圏諸国の代表も国際的な会合では西暦(=キリスト生誕暦)を使わざるをえないのと多少似た事情で、反ノーベル賞論者ですら結局は一国の科学力の的確な国際比較基準として認めざるをえないのがノーベル科学賞の絶対的権威というものなのであろう。やはりノーベル賞は、賞の中の賞なのである。

ノーベル賞選考のしくみ

 ご参考までに、自然科学三賞および経済学賞、文学賞の選考はそれぞれスウェーデン国内の三つの当該学術組織が別個に担当しているのに対し、平和賞の選考はノルウェー国会が選任したノーベル委員会によって行われる。授賞式もそれぞれの国で別々に開催される。ノーベル財団は賞金や運営経費を拠出するだけで、選考には一切関与できないシステムになっている。一部に言われるような「資本主義白人社会による国際的謀議としてのノーベル賞」などというものが密かに連綿と続いているとしたら、組織・国境・世代を越えたこの上ない見事な連携プレーということになるが…。

平和賞

 強引な北爆政策等で在任中評判の悪かったニクソン政権のヘンリー・キッシンジャー国務長官(当時)に対してノーベル平和賞が与えられたことはノーベル賞に対する格好の攻撃材料となり、同賞の他部門にまでとばっちりが及んだ感すらあるが、皮肉なことにはベトナム戦争中、兵役を忌避して国外に逃れた反戦米兵に安住の地を提供したのも同じ北欧にあってアルフレッド・ノーベルの祖国たるスウェーデンであった。当時のアメリカ政府側から見れば、「脱走兵をかくまった」利敵行為ということになる。スウェーデンのパロメ首相(当時)がアメリカのベトナム介入政策に対して終始批判的であったことや、冷戦時代を通じてスウェーデンがアメリカを盟主とするNATOに参入することを潔しとせず重武装非同盟中立を守りとおし、そのためにスウェーデン国民が多大の納税負担を敢えて負い続けたことも有名な話である。

 そういえば、ソ連のサハロフ博士やポーランドのワレサ「連帯」議長に対する平和賞も、ソビエト・ブロックの憤激をかった。同じく、ダライ・ラマへの平和賞授賞に中国政府は激怒した。(それ以来中国政府はチベット民族を以前にも増して迫害している、とみる人もいる。)

「右」からのノーベル賞攻撃

 さらに言うまでもないことながら、ノーベル賞に対しては「左」の立場からの批判だけでなく「右」からの攻撃もある。古いところではヒトラーもユダヤ系ドイツ人の平和運動家が平和賞を受賞したことから大のノーベル賞嫌いになり、それ以後ドイツ国民にはノーベル賞を受け取ることを厳禁した。そのため心ならずも辞退を余儀なくされたドイツ人科学者が、戦後になってはじめて(戦前にさかのぼり)晴れて受賞した例もある。

経済学賞

 もし「右」/「左」という尺度を持ち出すなら、むしろノーベル賞の中で一番ロコツに「右」に偏っているのは経済学賞だろう。受賞者の過半がアメリカ人で、しかもフリードマンなど共和党系右派の論客が優先される傾向がある。「左」の人達はこういう点をこそ批判したらどうかと思うのだが、そういう声が大きくならないのは近代経済学という学問自体が「反動」的なものだからその内輪の論功行賞に文句を言ってもはじまらないと達観しているのか、それとも研究内容が理解できないから批判のしようがないのか。(←揶揄しているわけではありません。私も経済学の数式はチンプンカンプンです。)

 むしろ意外なことに、文学賞の選考にあたっているスウェーデン・アカデミーが、経済学賞の廃止をノーベル財団に要求しているそうである。(もっとも、その廃止要求の論拠は「創始者アルフレッド・ノーベルの遺言に戻るべし。」というもので、イデオロギー的な理由ではない。)こういう点からみても、ノーベル賞関係諸機関の内部が「一枚岩」とは程遠い状態であることがうかがわれる。

 (以上を書くにあたって使った一番のタネ本は、矢野暢京都大学教授(元)の『ノーベル賞』です。)


ノーベル賞―二十世紀の普遍言語
作者:矢野 暢
出版社/メーカー:新書
発売日:1988-11
メディア:中央公論社
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こんな国際賞がほしい

いくらノーベル賞の権威が絶大だとはいっても、それを強要するような論には承服しかねる。「ノーベル賞の権威を守るため、ノーベル賞以上の賞金金額の賞は設けるべきでない。」という論を吐く人もいるが、学問的な権威というのはそうやって人工的な制限を設けることでつくり出すべきものではなく、識見の高い授賞実績を重ねることで自然にできあがるのが本来のありかたである。

とはいえ、既に物理学や化学、医学生理学にはノーベル賞が存在するのに、それに屋上階を重ねるような賞をまた作るのでは芸がない。もしどこかの大富豪がこれから国際賞を作ろうとするなら、実験的実証を重んじるノーベル物理学賞の向こうを張って、純粋に理論的な物理学研究(例えばホーキンズの宇宙論)に的を絞った物理学賞を作るなどしてそれぞれ独自性を打ち出してもらいたい。実際、第一回の「京都賞」はノーム=チョムスキーがもらっている。

また、文学賞に関しては、自然科学と違って選考する側の文化的背景が大きく影響することは避けられないから、各地域/文化圏でそれぞれ、全世界を対象とする国際文学賞を選べばよい、というのが筆者の楽しい空想である。「日本人が選んだ国際文学賞」が南アフリカの作家に出たり、「ナイジェリア人が選んだ国際文学賞」がモンゴルの作家に出たり。こうやって世界各地でそれぞれ選ばれた世界文学賞を通覧するのも一興であろう。どなたか文学に造詣の深い大富豪がこういう文学賞を授与するための財団を創設してくださらないであろうか。

ノーベル賞不要論

 上述したような八つ当たり型の攻撃とは一線を画し、文明論・科学論を踏まえて「ノーベル 賞はもはやその役割を終えた」と言明しているのが科学哲学者の村上陽一郎氏である。氏の論に全面的に賛成するか否かは別として、一読に価する問題提起の書である。


科学者とは何か (新潮選書)
作者:村上 陽一郎
出版社/メーカー:−
新潮社
発売日:1994-10
メディア:新潮社
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