北米留学上級技術マニュアル - あなたにピッタリの大学を選ぶ
目次
- アメリカ有利の分野を選ぶ
- 「小さい学校はいい学校」?
- 大規模校は総合デパート
- 有名大学の無名学部
- 無名大学の有名学部
- ランキングに振り回されてはいけない
- 有名大学にいくメリット
- 「鶏口となるとも牛後となるなかれ」というが
- スタンフォードは滑り止め?
- やはり、設備のいい大学を
- 「研究」か、「勉強」か
- 「英語道一筋」という方へ
アメリカ有利の分野を選ぶ↑
せっかくアメリカに留学するなら、アメリカで勉強することが有利にはたらくような分野の勉強をしたいものである。日本文化を専攻するにしても、たとえば内村鑑三のようにアメリカとつながりの深い人物を選ぶとかいうようにして、日本ではできないような研究をしたいものである。
アメリカで弁護士になる↑
北米では本格的な法律家養成教育は大学院(Law School)からはじまるので、他分野から法律家への転身を考えておられる方にはチャンスの場といえよう。北米の bar testも難関には違いないが、何しろ弁護士がいないと社会がなりたたないようなお国柄で全米では約百万人の弁護士資格保持者がいるというから合格者枠が比較的広く、日本の司法試験のような「苦節何十年」という話はあまり聞かない。(そのかわり、司法書士や行政書士に相当する資格は無い。)
アメリカで弁護士資格をとれば当然アメリカでしか仕事ができないかと思いきや、実は外国でとった弁護士資格を武器に日本で国際法律業務を営んでいる人もいる。
「アメリカ企業の日本支店に本社からアメリカ人弁護士が派遣され、日本企業との交渉にあたることがある。それなら、同じ仕事をアメリカの弁護士資格をもった日本人がしてもよかろう。」
というわけである。国内法の通用範囲をもとに定義されたjurisdiction(司法管轄圏)という概念が、国際法務の世界では意味をなさなくなるのである。(ただし、日本人同士の間の調停や日本の裁判所での法廷弁護士を務めるためには、日本の弁護士資格が必要である。)
筆者の知人の中にも、何人か米国で法律家の道へ進まれた方がおられる。その中には、筆者が博士課程を出るのに四苦八苦している間に、英語教育の修士号と教育心理学の博士号と法学博士号をとってしまったというパワー・ウーマンもおられる。この方は現在Seattleで弁護士事務所を開業しておられるが、おまけに日本舞踊の名取りでピアノ教室の先生でスキーのインストラクターで、とギネスブックに紹介したいような凄い肩書きに圧倒されてしまう。
「小さい学校はいい学校」?↑
英米圏には"A small school is a good school"という言い回しがあり、大きい総合大学でマスプロ教育を受けるよりは、小さくともレベルの高い大学でマンツーマンの教育を受けた方がいいという考え方もある。確かに学部の1〜2年生のレベルでは、小人数で手取り足取りの指導が性にあう学生もいるようである。語学力や適応能力に若干不安があって、ファミリー的な学校環境を好むなら、小規模校を考慮してみるとよかろう。学問的なトレーニングの質でも、Amherst Collegeや Swarthmore Collegeなどの一流の四年制大学の学位はIvy League等の学士号と同格に見られる。
逆に博士論文研究に邁進する時期にも、師匠から親身かつ的確な指導が受けられる環境が最重要で、大学のサイズなどは二の次かもしれない。「是非ともこの分野の第一人者の下で研究を極めたい。」という明確な目標があるのなら、迷わずそこを目指すべきである。在籍校は小さい大学でも、単位交換制度を利用して提携校の授業に出ることが可能になりつつあるから、小規模校の宿命である科目選択の幅の狭さは、以前ほど致命的な問題ではなくなってきた。
ただし、大学院で専門教育を受けるようになってから担当教官と喧嘩別れしてしまった場合、小さい学科内だと他に逃げ場がない。最悪の場合、他所の大学で一から始めなおさなければならないことすらありうる。大きい学科だと、他に拾ってくれる先生がみつかるかもしれないから、その点は精神的にラクである。(逆に大きい学科の中で「埋没」してしまう可能性もあるが。)
「〜先生の下で研究」↑
英語だと、"I am working with Professor ~." という。「下」と"with"の対比、面白いと思いませんか?(もっとも英語にも、"I studied under Professor ~."という言い方もある。)
「研究のメッカ」で学ぶのも、いいことばかりではない↑
筆者はイリノイ大学教育心理学科の博士課程に進んでから、聴講も含めて10本近い統計学のコースに顔を出した。イリノイ大学の教育心理学科といえば、知る人ぞ知る教育統計学のメッカである。当然授業の内容もレベルが高く、理論をことのほか重視する。反面、既成の統計パッケージの使い方などはあまり授業で丁寧に教えてくれない。(そんなものを使うのは素人だと思っているのだろうか?)
これは将来教育統計学の専門研究者として就職したいという大学院生にとっては素晴しい勉学環境であろうが、逆に筆者のように自分の研究の道具として統計技法が使えればいいという人間にとっては、授業内容が高尚すぎてすぐに役にたたないという欠点がある。むしろ、修士時代を過ごしたハワイ大学の統計学のコースの方が統計パッケージの使い方を授業で手取り足とり教えてくれてすぐに役にたつ内容だったように思う。
要するに、「ユーザー」と「メーカー」では必要とする知識や技術のレベルが全く異なるのである。「ユーザー」が「メーカー」の中に紛れ込んで高度なことを習っても、得をするとは限らない。
とはいえ、イリノイ大学に行ったおかげで統計相談室には優秀なコンサルタントがいて、そのおかげで論文を書くときに大いに助かったというのも事実である。
大規模校は総合デパート↑
他学部も含めて色々な分野の授業をとって視野を広げたいという人にとっては、大きい大学の魅力はかえがたい。大学院留学の場合、語学力や適応力に不安がなく、一方、専門ではまだはっきりしたテーマがしぼり込めていないという人は、取り敢えず大きいプログラムで色々な講義を取ってみるのが得策ではなかろうか。
有名大学の無名学部↑
Harvardの工学部などが典型。優れた業績を挙げておられる先生もおられるようなので一概に「無名」と決めつけてしまうと申しわけないが、近所のMITにくらべて地味なのはいたしかたあるまい。
無名大学の有名学部↑
「無名」といっては失礼ながら、全国的な知名度ではパッとしないUniversity of California, Irvineが神経生理学では超一流の学者を揃えているなどは好例。University of HawaiiのSecond Language Acquisition Program なども、素人には知られていない全米最強の大学院プログラムである。Boston Universityの神経言語学もしかり。University of Pittsburghの心理学科も、Instructional cognitive psychologyが滅茶滅茶に強いので有名である。こういうプログラムは、学部レベルでは必ずしも最高レベルの学生が集まるとは限らないが、大学院になると全米から優秀な志願者が押し寄せてくる。博士課程のレベルになるとさすがに、「きこえ」で大学を選ぶような軽薄な学生はまれである。
日本でも昔は、弁護士になりたいから中央大学へ行く学生、英語力を鍛えたいから国際基督教大学へ行く学生、金属学や電子工学をやりたいから東北大学へ行く学生、低温物理学をやりたいから北海道大学へ行く学生、生体工学やレーザー研究をやりたいから大阪大学へ行く学生などがいたという話であるが、当節はいかがであろうか。
ランキングに振り回されてはいけない↑
北米では大学のランキング資料が充実していて、志望校選びの参考になる。しかし、ランキングに振り回されてはいけない。調査の方法や対象によって違った結果が出ることはよくあるし、個人の適性も様々だからである。仮に総合順位で全米5位の大学と50位の大学から入学許可をもらったとして、あなたに最適の勉学環境を提供してくれるのは50位の大学の方である可能性も大いにある。「「ハーバードよりいい大学」がたくさんある」の章でも申し上げたとおり、学問的にもその他の点でもあなたが最大限に成長できる機会を与え、将来を充実させてくれる大学が、あなたにとっての世界一の大学なのでである。
有名大学にいくメリット↑
「とは言っても、やはり大学の知名度は気になる」とおっしゃるのも、これまた人の情として無理からぬことである。有名大学に進むとどのようなメリットがあるか、具体的に検討してみよう。
- 知名度の高い大学は概して伝統があるから、図書館に古い本がたくさん揃っている。
- 卒業生があちこちで活躍しているから、人脈が作りやすい。(日本でいう「学閥」とは違うが、アメリカ人も、同じ大学の出身者が商談にくれば一度ぐらい会ってみようという気になりやすい。)
- 日本の大学や官公庁・一流企業から研修/研究に来る人が多い。日本だけでなく、世界中から人材がやってくる。専門分野を問わず、各界のリーダーと知り合いになるチャンスである。
- 自分の出身校を言った時、毎回「えっ、その大学どこにあるんですか」と聞かれなくて済む。
将来、仕事を探す時のことを考えてみよう。採用選考する側があなたの専攻分野に関する専門知識がない場合、他に頼れる基準がないなら「とりあえず、名の通った大学を出た人」が無難だから採用しておこうと考えやすい。
反面、事情に詳しい人なら、名は広く知られていなくてもすぐれた教育研究を行なって優秀な専門家を送りだす大学をちゃんと知っているし、それなりに評価してくれる。最終的に大学を選ぶ際には、こういう事情を一応頭に入れてから判断なさってもいいと思う。
「鶏口となるとも牛後となるなかれ」というが↑
Self-esteemを高める上ではこの諺は有効だと思うが、「牛(一流校)のビリッケツが鶏(無名校)に入れば必ずトップに立てる」と決め込むのは早計である。何事にも相性というものがあり、超一流の施設やサポート体制があってはじめて実力をフルに発揮できるタイプの方もいる。「牛口になりそこねて鶏後に終わる」ケースもありえないわけではないことを、頭に入れておいた方がいいだろう。
スタンフォードは滑り止め?↑
「一度はとにかく有名大学から入学許可をもらわないと気が済まない。しかし、本当に行きたい大学は他にある。」とおっしゃるなら、「本当に行きたい大学」の他に「とにかく有名な大学」にも出願してみられてはいかがだろうか。「日本にいる間に東大を断るチャンスがなかった」と悔やんでおられる屈折した方は、今度こそハーバード、エール、プリンストン、スタンフォード、シカゴ、MIT、バークレーを束にして袖にし、驚く周囲の人々を前に「ありゃ滑り止めで出願しておいただけだよ」とうそぶくチャンスが巡ってくるかもしれない。その上で「アタシはこの大学に行くんだ」と宣言すれば、第一志望校の魅力を熱く語る貴方のことばの説得力がさらに増そう。
やはり、設備のいい大学を↑
筆者はUniversity of Illinois at Urbana-Champaignを卒業したあと、University of Massachusettes (UMass) at Amherstで1年間働いたことがある。どちらも州立大学グループの本校だというのに、あまりの設備とサービスの差にあきれてしまった。Illinoisなら大学院生はもちろんのこと学部生でも(英語学校の生徒でも!)ただでコンピューター口座がもらえてインターネットは使い放題(日本語通信可能)、構内ここかしこのラボにはPCやマックがごろごろ転がっていて自由に使えたというのに、UMassの方は、こういうアクセスがほとんどない。日本語メールなんて夢のような話である。体育設備も、雲泥の差。(特に、寒冷地だというのにUMassの体育館にサウナがないのには頭にきてしまった。)それなのに、授業料や生活費はUMassの方が高いのである。高い授業料をはらって海外からUMassにやってくる学生はかわいそうだ、と心底同情したあまり、思わず「Illinoisに転校しなさい。」と言って周囲の顰蹙をかってしまった。
専攻が何であれ、在学中にこういう諸種の設備を存分に使えるかどうかは、将来に大きな違いを残すと思う。出願前に、このあたりも調べておかれたい。設備のいい大学は概してそのことを入学案内で強調しているからよくわかる。また、大雑把な基準ではあるが、World-Wide Webのホームページがどの程度充実しているかも、大学、学部のテクノロジーへの力の入れ方をみる一つの目安にはなると思う。(今どきホームページも作っていないような大学なんて論外である。)
なお、日本同様アメリカでも大学はPC主体のところとマック主体のところにかなりはっきり色わけされる。(ただし、大学全体はPCが主流でも教育学部や美術学部はマック推奨、なんてこともよくある。)
同じぐらい優れた設備があっても、その使いやすさは大学の姿勢や担当者の取り組み方によって格段の差が出てくる。筆者が1988年にUniversity of Michigan, Ann Arborで一夏を過ごしたおり感心したのは、ユーザーに使いやすいように工夫された細かい気配りであった。一例をあげると、大型コンピューターセンターでは、端末機が並んでいる部屋の天井から吊り下げられたモニターに、どの印刷ジョブが終了して受取可能か、刻一刻うつしだされる。(空港にある、旅客機の発着表示モニターを思い浮かべられたい。)したがって、ユーザーは、足しげく印刷受取窓口に足を運んで「まだか、まだか」と気を揉む必要もなく、端末機の前にすわって仕事を続け、印刷が終了したという表示がモニター上に出てからおもむろに受け取りに行けばいいわけである。残念ながら、こういうユーザー主体の発想は、 University of Illinoisの大型機センターには不足していたように思う。このあたりは大学が送ってくる資料には書かれていないから、自分でキャンパスを訪れるか、行ったことのある人に話をきくほかない。
「研究」か、「勉強」か↑
アメリカの教育制度の著しい特徴の一つは、学習者に対して非常に早い時期から「自分の意見」を述べさせようとすることであろう。これは日本はもちろん欧州文化圏でも考えられないとのこと。特に筆者が修士号を取得したUniversity of Hawaii の英語教育学科では、当時大学院に博士課程がなかったこともあってか、修士課程の学生にやたらに高度なことを要求する通弊があってじっくり文献を読む暇もなく研究プロジェクトにかからねばならず、大学院ではじめてこの道に入った筆者などは青息吐息であった。Illinois大学の教育心理学科の博士課程に進んでからの方がまだしも腰をすえて過去の諸学説の吟味をする余裕があったように思う。
どちらがいいかを論じても水掛け論になるのであえて立ち入らないが、どちらのやり方を好むかは個人差大である。論文を数本読んだだけでいきなり独創的なアイデアをどんどん出して教授を感嘆させることができるようならそれに越したことはないが、人によっては分野の概要をひととおり把握してから如々に自分の意見をかためていくタイプもいる。どちらがいいとは一概に言えまい。極端な場合、自分で何か研究成果を出すことにはあまり興味がなく、先達が築いた業績を咀嚼すること自体によろこびを感じる人もいる。これが大学院教育の本流になってしまうと本末転倒のような気もするが、修士課程ぐらいまでなら中にそういう「お勉強大好き」タイプの人がいてもいいようにも思う。 とにかく、自分のスタイルに全く合わない学科に入ってしまうと精神的苦痛が甚だしい上、実力を発揮しがたいことだけは確かである。
と、ながながと前置きを述べたが、要は、自分の学習スタイルに合った学科を選ばれたい、ということである。「最初の2年ぐらいはこれまでに提案された諸学説をじっくり検討し、その上で自分の理論的立場や研究方針を決めたい」と思っている人が、基礎の手ほどきもそこそこにいきなり高度な学位論文研究に着手することを要求する学科に進むのは考えものであろう。逆に、「1年目からばりばり自分の研究をやりたい」と思っている人が知識確認型のテスト、テストで追いまくられるような学科に入学してしまうと、やはり水が合わずに失望する可能性が高い(University of Illinois のDivision of English as an International Language (DEIL)は、どちらかというと後者のタイプに近い)。
「お勉強」のすすめ(?)↑
研究業績第一主義がいきすぎると、とにかく新しい知見を出して論文を発表するための調査や実験、観察、計算、シミュレーションなどに血道をあげてしまい、関連分野を広く見渡す余裕などなくなってしまう。いわゆる「タコツボ」型の研究者が大量生産され、全体を広く見渡せるような人材が枯渇してしまうのである。(広範囲をカバーするようなreview articleを真面目に書き出したら、物凄く時間がかかって出版にこぎつけるのが大変である。一年数本の大量生産などまず無理である。)これは学問が高度化、専門化したためやむをえない側面もある。
しかし一方、科学技術が政治・経済・軍事、はては衣食住から思想・哲学・文学にまで甚大な影響を与える今日では、学問の最先端をレベルを落とさずしかも素人にわかりやすく伝えることの重要性も強調して強調しすぎることはない。高度な科学的素養を備えたジェネラリストの出番がやってくると思うのである。これからは、そういう本格的な科学ジャーナリスト、科学評論家の役割が益々重要になってくると思う。
この領域では何といっても立花隆氏がよく知られているが、実は立花氏ほど著名ではなくても科学ジャーナリストとして活躍なさっている方は少なくない。読者の中からも、研究ばかりでなくそういう啓蒙の道を歩まれる方も出てきてほしいものである。科学ジャーナリストや科学評論家は必ずしも自分でデータを集める「研究」をする必要はなく、その分、学会全体の(さらには、異なる学問分野にまたがる)動向を掴む「勉強」の方が大事になるわけであるが、「勉強」とはいってもただ単に本に書いてある知識や専門研究者の話を理解・記憶するだけではなく、それらを総合し、科学史・文明史あるいは政治経済全体の大きな流れの中で批判的に評価することが肝要であり、それが結局はご本人の頭次第であることは、当然である。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/listmania/list-browse/-/PC9C8GMILF8A/qid=1141546073/sr=5-1/ref=sr_5_10_1/249-1610683-5013954
「他人の釜の飯」を食い、基本的な専門トレーニングをしっかり受けながら時に他学部も含めて色々な授業を覗き、英語力(自然科学者にとっては今や地球共通語化している)も強化できる北米留学は、そのための登竜門として適しているのではあるまいか。哲学科で科学哲学を専攻している学生が物理学科や電子工学科のゼミの討議に参加するというようなことは、日本の多くの大学ではまだまだ難しいように思う。
「英語道一筋」という方へ↑
「英語屋の時代は終わった」などと水を差されてもひるまず、Native speakers と同じ土俵の上に立ってひたすら英語力を磨きに磨いてみたい、というお覚悟の方へ。話す力をつけたいのなら、Speech communication学科を調べてみたらどうだろうか。その名のとおり、話す技術を徹底的に訓練してくれる。(ただし、大学によってはSpeech communication学科で心理学や言語学もどきの理論的なことばかりやっているところもあるので、事前に内容を充分検討する必要がある。)
読む力をつけたいのならJournalism学科へ行けば、現代英語の新聞や雑誌を朝から晩まで読むことになる。Department of Historyへ行ってもたくさん読まされるが、何せ「古文書」だから概して文体がやや古い。文学的言い回しも含めた英語表現の神髄を学びたいなら、English Departmentであろう。英文科出身の人は語彙がおそろしく豊富で、いつも感心させられる(ネイティブでも知らないような単語が、話していてもぽんぽん出てくる)。
ただし、こういう学科へ行くと、ネイティブの中でも読んだり書いたり話したりするのが特別に好きで得意な連中と競争させられるわけだから、相当な覚悟が必要である。「日本人としてはかなり英語ができる方」という程度の英語力ではとても歯がたたない。大学院で英文学を専攻するつもりなら、GREのVerbal部門でも、ネイティブの平均を上回るかなりの高得点をあげる必要がある。
英語が好きだから、という理由で英語教育(TESL)を専攻する人もいるが、教えることや言語習得の理論に興味がなければ、これはお勧めできない。TESL学科の授業内容は外国語教授法や言語学、言語心理学、テスト統計学の入門などで、学生の英語そのものを鍛えるための課程ではないからである。「英語がすきだから」というだけの理由でTESLへ進んで失望した人を、筆者は何人も知っている。こういう人が入ってきてしまうと、学生を抱える学科の方も扱いに困るものである。
英語自慢の落し穴↑
「英語が好きで得意で…」というタイプが案外、留学先で精神的にダウンしやすい。いくら英語が得意な日本人でもネイティブほどにできることはほとんどないから、特に最初の学期はことばの壁をいやというほど味わうことになる。これまで武器としてきた英語が逆にハンディとなったとき、精神的なショックは大きい。野球でいえば、決め球を痛打されたピッチャーが一気に崩れるようなものだろう。また、なまじ英語の先生をしていたような人は人前で間違った英語を話してはいけないと思うあまり、話すのをはばかるようになり、かえって進歩が遅れる場合もあるようである。
むしろ、「英語は道具」とわりきっている理工系の留学生の中に、数年たつと見違えるほど達者な英語を話すようになる人がいたりするから不思議である。(大きな声では言えないが、はじめから三人称単数の-(e)sなんかに神経質になっていたら会話なんてできない。現に、ネイティブでも会話の最中にはそういう文法の間違いをいっぱいしている、という研究報告が出ているぐらいである。)
英語学習に向いた土地↑
アメリカ英語に日本でいうような標準語というものはないが、おおまかに言って3大テレビ・ネットワーク(ABC, NBC, CBS)のアナウンサーが放送中に話す英語が標準だと考えておけばさほど大きな間違いはないであろう。地域的には、Chicago 近郊の教養ある中産階級の白人がしゃべる英語にほぼ相当すると考えられている。他に格段の理由がない限り、外国語を学ぶにあたって最初は標準とされている語法に習熟するのが正攻法であろう。(筆者は関西出身であり関西弁をこよなく愛しているが、初学の日本語学習者に関西弁を教えようとは思わない。)
標準英語習得に適した地域としては、筆者の知る限りでは中西部北西半(Minnesota, Wisconsin)をあげたい。話されている英語がほぼ標準英語であるし、この地域の人は概してゆっくり話してくれるので外国人にとっては適応しやすい。こちらが口ごもって次のことばを探している時でも割って入らずにじっくり待ってくれるからフラストレーションを持たないですむ。こういうところで1〜2年過ごして慣れてからなら、その後で早口のCaliforniaやNew Yorkへ移っても悪い癖がつかないで済むように思う。(はじめから早口の人間たちとばかりつきあうと、話に割り込まれないよう、ついついせわしない話し方が身についてしまう。その結果、文法や語彙も不正確になりがちである。)
とはいえ、どこへ行っても様々な英語を話す人たちがいるものである。Chicago 近辺にも、"I goed to school." という方言を使う白人の村があるとのこと。大学の新入生の作文を調べて見ても、三人称単数現在動詞の-(e)sを抜かすなんてしょっちゅうである。アメリカ人が言ったことだからといって、どこでも使える言葉遣いだとは限らない。
[TrackBack URL]