研究能力を伸ばす方法を考える - アイデアを記録する
目次
研究の第一歩:リサーチクエスチョンを育てるには↑
学術研究は、ある問い(リサーチクエスチョン:研究課題)に答えるべく努力を重ねるという形で展開されていきます。個々の学術論文(たとえば修士論文や学術誌掲載論文)はいってみればその経過報告です。リサーチクエスチョンのない研究はあり得ません。それゆえ、「意義あるリサーチクエスチョンが湧かないようでは、いくら高度な技法や理論を知っていても研究者(リサーチャー)として一人立ちしているとはいえない」と結論せざるをえません。修士論文に関して相談を受ける側としても、「〜と〜と〜に興味があるが、どれを選んでどうまとめたらいいかわからない。」というのなら、ない知恵を絞って少しはお役に立とうと努力もしてみますが、「何をやったらいいのか何もアイデアがない」というのではサポートのしようがありません。
こうすればアイデアが蓄積できる―研究のネタ帳をつけよう↑
そこで老爺心からのアドバイス。次のことだけは(もしまだ始めていないなら)「騙された」と思って今日から即刻実行してみてください。
「思い付いたリサーチクエスチョン(のタネ)を片っ端から全部記録しておく」
やりかたは簡単。手間もかかりません。一日5〜10分もあれば実行できるでしょう。
1) ポケットやポーチに入るサイズのノート(スパイラル式が使い易い)を一冊準備し常時手近に置いてください。細身のノック式ボールペンをしおりの替わりに挟んでおくとさらに便利でしょう。
2) そして、授業を受けている時、本や論文を読んでいる時、日本語を教えているとき、雑談をしている時、テレビを見ている時など、とにかく研究をめぐって「おもしろいな」「かっこいいな」「もっと知りたいな」「こんなことをやってみたいな」 「変だな」「うさんくさいな」「つじつまがあわないな」などと感じたこと、思いついたプランや疑問・研究テーマなどを、片っ端からメモしておきます。(いくら忙しくてじっくり勉強している余裕がない時期でも、目をさましていれば何かを「感じる」ことだけはできるはずです。)後日の参考までに、書き込みの日付けを付記しておくとよいでしょう。 この段階では、範囲を絞る必要は全くありません。たとえ修論では成人学習者の受け身文の習得を扱いたいと今のところ思っている人でも、一見したところそれとは大きく異なることがら、たとえば異文化環境下での対人不安や年少者バイリンガルや漢字の効果的導入方法について問題意識が湧けば、アイデアの出るままどんどん記録していってください。(絞ることは後でいくらでもできます。)
3) 新しい研究動向や技法に触れて、「これをあのリサーチクエスチョンに答えるために使えないか?」と思い付いた時なども、とりあえずそのアイデアを記録しておきます。
4) 実行するかしないかは別として自分なりに研究計画(被験者数、データ収集方法など)を立ててみると、さらに問題点が整理されてきます。その際、「〜という結果が得られれば、〜と結論することができる」と展開を予測・シミュレーションしてみることが特にいい練習になります。
5) ノートの記載がある程度たまったら、折りにふれてそのメモを読みなおしてみてください。 すると、その中に愚問もあれば自分でも感心するようなキラリと光る鋭い観察もあることに気づかれることでしょう。(その、愚問と良問の見分けがつくようになったということが、専門家としての成長を如実に示しています。)
6) 適切な相手がいれば、「自分はこれまでにこんなことに興味をもった。」と話してみることも論点を見直す上で有効かもしれません。
リサーチクエスチョンと研究者人生↑
こういうアイデアの一つ一つは、最初はばらばらの「点」に過ぎないようにも思えます。しかし考えてみれば、地上から見上げる夜空の星も一つの光の点です。それらが連なれば、美しい星座を、壮大な銀河を形作る可能性を秘めているわけです。入学前後に湧いた、たとえ表現は稚拙であっても本質において鋭い疑問を、専門教育を積んだ上でより学問的に厳密な言葉遣いによってあらためて言い直してみると、それがその後の生涯の研究のテーマになるかもしれません。時によっては、書きためた疑問を通して眺めているうちに、それまで自分でも気がつかなかったような一貫した問題意識がそこに流れていることに気づくこともあるでしょう。「自分は既に研究テーマが決まっている」という方も、こういう過程を通じて問題意識をさらに深化・洗練させていくことが可能です。
リサーチクエスチョンを育て、「自分は何をやりたいのか」を時間をかけて探ることは、研究者としての自己確立の最初の関門ともいえます。(因に、この研究者としての「自分探し」は一回きりで終わるものではなく、そのときどきで深さと形をかえながら生涯にわたり何度もくり返されることがよくあります。)
とにかく早く論文を仕上げて学位を手に入れることを優先させるなら、そういう過程をスキップして手っ取り早くまとめやすいテーマにとびついてしまうことも可能ではあるでしょう。しかし、そうやって「何がやりたいのか」をはっきりさせないままいつでも小器用に論文の体裁だけを整えようとしていたのでは、赤ちゃんから「はいはい」の時期を経ずしていきなり歩行器に頼って歩きはじめた幼児のように、あるいは第二反抗期を経験しないで「いい子」のまま大人になってしまった青年のように、いつか転んだ時に自分一人で起きあがれなくなるのではないか、というのが私の一番の心配のタネです。
とはいっても、「それにしてもこのままではテーマが大きすぎて修論では扱えない」ということはありえます。その時こそ教官や先輩というリソースが役に立ちます。大学の教官は、ある論題をめぐって学術論文という形式の文書を「まとめる」ことを飯の種にしていますから、たとえ答えを知らなくても問題の範囲を限定したり扱いやすいように分割して攻略するノウハウはあれこれ身につけています。時には、関連する書籍や論文を御紹介できるかもしれません。2年間という限られた時間内でどの程度のことが実行可能か、についても経験的にある程度の見当はつきます。(いよいよ時間が迫ってくれば、修了のためには見切り発車が必要となる局面もありえます。しかし、はじめから焦るのは得策ではありません。)
その一方では、「この論題は提出期限の定まった修論で正面から取り上げるのは危険だが、もう一つの研究テーマとして一生かけて追求する価値がある」という場合もあるかもしれません。(そういった取捨選択についても、教官はある程度のノウハウを持っています。)特にM1の時に、いろいろな方面に興味を持って考えを巡らすことは無駄にはなりません。
7) 修論研究に何をとりあげたらいいか考えがまとまらない時は、書きためたこのメモを持って教官室まで相談しに来てください。
新しく合格なさった皆さんがM2になる来年の4月までの約14か月を、まずは「問題意識を研ぎ澄ます」ために使っていただきたいと思います。極論すれば、論文講読も授業も研究会も畢竟、そのためのきっかけを与えるものに過ぎません。実際、他人から聞いた話や読んだ論文の細部の記憶はどんどん薄れていくのが人間の脳の避けられない特性ですが、その努力の過程で徐々に沈澱し結晶してゆく問題意識こそ一生の知的財産といえます。むしろそういうシャープで洗練された問題意識がある人こそ、膨大な情報を活用可能な体系として頭の中に蓄え、常に更新し続けることができるのです。使い古いされた言い回しではありますが、「答えを知っているよりも的確な問いを投げかけられることの方が研究者の資質として重要である。」ということばの意味を御理解いただけるでしょうか。
研ぎ澄まされた「深い問いかけ」によって、皆さんが私達を驚嘆させてくださることを期待しています。