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競馬wiki - GI(JanI)


フェブラリーステークス

東京 4歳以上 ダ1,600m


本競走は、昭和59年にハンデキャップのダート重賞競走(GIII)として創設された。その後、平成6年にはGIIへ格上げされ、別定重量に変更された。さらに平成9年には、JRA初のダートGIとなり、ダート競走体系における頂点として位置付けられた。

高松宮記念

中京 4歳以上 芝1,200m


本競走は、昭和42年から『中京大賞典』の名称で施行されていたレースが前身で、46年に高松宮殿下から優勝杯を賜ったのを機に改称し、『第1回高松宮杯』として施行された。以来、距離2000mの別定戦として争われてきたが、平成8年に距離が1200mに変更されると共に、GIIからGIに格上げされ、中京競馬場初のGI競走が誕生した。また、平成10年より競走名が『高松宮杯』から『高松宮記念』に変更となり、5月から3月下旬に移設して施行されている。

桜花賞

阪神 3歳牝 芝外1,600m


本競走は、イギリスの1000ギニーにあたる競走で、牝馬3冠(桜花賞・優駿牝馬・秋華賞)の第一関門である。その名のごとく桜の咲き誇る季節の中で、幾多の名勝負と名牝を生み出してきた。3歳馬競走の最高峰に位置するのが5大クラシックレースである。 我が国のクラシックレースは、近代競馬発祥の国イギリスに範をとり、優良な繁殖用馬の選定のための競走という趣旨から、せん馬(去勢馬)の出走を認めておらず、5競走のうち、桜花賞と優駿牝馬の2競走は牝馬のみによる競走となっている。

中山グランドジャンプ

中山 4歳以上 障4,250m


昭和9年に当時の中山競馬倶楽部理事長肥田金一郎氏が、東京競馬場の東京優駿(日本ダービー)に匹敵する中山競馬場の名物レースとして創設したのが前身の中山大障害の始まりで、距離4100mに他の障害レースを遥かに凌ぐ大きな障害を設け、飛越テクニックとスタミナを競わせた。創設時の障害の規模は大土塁障害(通称赤レンガ)が高さ1.4m、幅2.2m、大竹柵障害が高さ1.6m、いけ垣障害が高さ1.5m、幅2.7mで現在の障害より大きく、合計10回の飛越とバンケットを6回上り下りするものであった。その後、何度か距離の変更を経て、47年秋からは創設時の4100mに戻された。平成11年からは競走名も一新され、J・GIに格付けされた。平成12年以降は国際招待競走として施行され、平成13年より距離が4250mへ変更され現在に至っている。

皐月賞

中山 3歳牡・牝 芝2,000m


本競走は、イギリスの2000ギニーにあたる競走で、3冠(皐月賞・東京優駿・菊花賞)の第一関門である。  3歳馬競走の最高峰に位置するのが5大クラシックレースである。我が国のクラシックレースは、近代競馬発祥の国イギリスに範をとり、優良な繁殖用馬の選定のためという趣旨から、せん馬(去勢馬)の出走を認めていない。5競走のうち、桜花賞と優駿牝馬(オークス)の2競走は牝馬限定の競走となっている。

天皇賞(春)

京都 4歳以上 芝外3,200m


明治38年5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から下賜された「御賞杯」を懸けて競った「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身で、翌39年には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、小倉、福島、札幌、函館の計7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」が施行されるようになった。しかし、各競馬倶楽部が独自の競走条件で施行していたため、競走名こそ同じものの、レースの性格は統一されたものとはいえず、昭和12年に各競馬倶楽部が統合されて日本競馬会が誕生したのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回施行されることになり、第1回の12年秋は2600m、13年春が2700mで、3歳以上の馬によって争われた。13年秋から4歳以上の3200mとなり、戦争で中断される19年春(この時は能力検定競走として非公開で施行)まで続き、戦後の22年春に「平和賞」の名で復活。同年秋から現在の名称である天皇賞となり、春が京都、秋は東京で施行され、長い歴史を誇る天皇賞は古馬最高の栄誉とされてきた。56年に勝抜制が廃止され過去の優勝馬にも出走権が与えられ、59年には秋の天皇賞の距離が2000mに短縮、さらに62年には3歳馬にも秋の天皇賞への出走権が与えられた。これにより春は4歳以上のステイヤーの日本一を決定するレース、秋は3歳以上で中距離のナンバーワンを決めるレースと、その性格が明確に分けられた。

NHKマイルC

東京 3歳牡・牝 芝1,600m


従来、3歳馬の競走体系においては、主にダービーを頂点とする中・長距離系の距離体系は組まれていたが、短距離路線においては、指標となる競走がなかった。しかしながら、近年の海外も含めた競馬のスピード化に伴い、いわゆるクラシック・ディスタンス(2400m)から、より短い距離の成績も同程度に重要視されるようになってきた。そこで平成8年に3歳馬競走における短距離系の競走体系が整備され、本競走が設けられた。本競走は日本放送協会(NHK)よりNHK杯の寄贈を受けて施行される。

ヴィクトリアマイル

東京 4歳以上牝 芝1,600m


従来、生産の原点である牝馬は、早期に生産界へ還元することが望ましいと考えられていたことから、古馬牝馬の目標となるレースの設置は、長らく見送られていた。しかし平成8年以降、エリザベス女王杯の古馬牝馬への開放、古馬牝馬重賞競走の増設、およびローテーションの整備によって、競走馬として長く活躍する牝馬も多くなり、またそうした牝馬からも優良な産駒が誕生するようになったことから、生産界における考え方にも変化が生じてきた。また、ヨーロッパにおいても、古馬牝馬のGI競走が増設され、牝馬の競走馬としての価値を高めるとともに、競馬番組の充実を図っている。そこで、春に牝馬の目標となるGI競走として、本競走が創設された。なおヴィクトリアは、ローマ神話に登場する勝利の女神のこと。

オークス

東京 3歳牝 芝2,400m


本競走は、イギリスのオークスに範をとり、昭和13年に設けられた競走。創設時の名称は『阪神優駿牝馬』。当時の我が国の3歳牝馬は競馬先進国に比較して成長度に半年くらいの差があると考えられていたため、秋に施行されていた。昭和21年に開催場を阪神競馬場から東京競馬場に移行し、現在の『優駿牝馬』と改称し、昭和28年には施行時期を諸外国と同様の春に変更し、現在に至っている。競走名のオークス(Oaks)は、英語で樫のこと。

日本ダービー

東京 3歳牡・牝 芝2,400m


本競走は、イギリスのダービーに範をとったレースであり、昭和7年4月24日に「東京優駿大競走」というレース名で目黒の東京競馬場で施行されたのが始まり。サラブレッド生産を伴う競馬先進国には、必ずダービーにあたる競走があり、ヨーロッパにおける英愛仏ダービー、北米のケンタッキーダービーなどが国際的にも重要な競走とされている。『競馬の最大の祭典』として、競馬ファン以外の人々にも広くその名を知られる大レースである。

安田記念

東京 3歳以上 芝1,600m


本競走は、明治、大正、昭和の三代にわたって競馬に携わり、大正12年の競馬法制定(馬券の公認)や、日本ダービーの創設などに尽力した安田伊左衛門氏(初代日本中央競馬会理事長)の功績を称え、昭和26年に創設された安田賞を、氏の没後の33年に改称したもの。59年にGI競走として格付けされ、マイラーにとって最高峰のレースとして位置付けられた。

宝塚記念

阪神 3歳以上 芝2,200m


宝塚は兵庫県南東部の市で、阪神競馬場の所在地。春のGI戦線を締めくくる宝塚記念は、有馬記念と同様に出走馬をファン投票で選定する3歳以上のレースを設け、関西地区の競馬の目玉にしようという狙いで、昭和35年(1960年)に創設された。創設年は3歳以上の1800mで争われたが、翌36年に2000mとなり、41年から現在の2200mに定着した。43年以降は4歳以上となったが、62年に再び3歳馬にも開放され、春のチャンピオン決定戦と位置づけられた。過去10年間で1番人気馬が6勝・2着2回と、実力馬が実力どおりの力を発揮するレースとなっている。

スプリンターズS

中山 3歳以上 芝外1,200m


本競走は、昭和42年に創設され、当時、3歳以上の馬が出走できる唯一の1200mの重賞競走であった。59年のグレード制実施当初はGIIIだったが、62年にGIIへ昇格し、平成2年にはGI競走の仲間入りを果たした。スプリント競走体系の整備等の観点から、平成12年より施行時期を従来の12月から9月下旬〜10月上旬に移設し、秋競馬の開幕を彩るGIレースとして施行されている。歴代の優勝馬には、サクラバクシンオーやタイキシャトルなど名馬が名を連ねている。

秋華賞

京都 3歳牝 芝2,000m


本競走は、平成8年に創設された3歳牝馬限定のGI競走で、2000mの馬齢重量で争われる。  従来、桜花賞・オークスに続く牝馬三冠レースとしては、エリザベス女王杯が設けられていたが、エリザベス女王杯が3歳以上馬による競走となったため、新たな三冠の締めくくりの競走として設けられた。競走名の「秋華」とは、中国の詩人である杜甫や張衡が文字通り「あきのはな」として詩のなかで用いた言葉である。大きな実りの季節である「秋」を迎え、強さの中に「華」麗さも身につけた牝馬達の熱い戦いを期待したい。 平成15年の本競走では、スティルインラブが牝馬三冠を賭けて出走。外から猛追するアドマイヤグルーヴを3/4馬身抑え、牝馬三冠を見事達成した。これは、昭和61年のメジロラモーヌ以来、史上2頭目、17年ぶりの偉業であった。

菊花賞

京都 3歳牡・牝 芝外3,000m


世代のチャンピオンを選定するため、3歳馬競走の最高峰に位置するのが5大クラシックレースである。我が国のクラシックレースは、近代競馬発祥の国イギリスに範をとり、優良な繁殖用馬の選定のための競走という趣旨から、せん馬の出走を認めていない。「イギリスのダービーに相当する3歳馬の大レースを設け、競走体系の確立と競走馬の資質向上を図る」という目標を掲げた『東京優駿大競走編成趣意書』を、東京競馬倶楽部が昭和5年に発表した。それに基づき、7年に東京優駿(日本ダービー)が創設された。そして、12年に全国11の競馬倶楽部が「日本競馬会」に一本化され、統一的な方針のもとで競馬が施行されるようになったことに伴い、13年から14年にかけて他の4競走が整備されたものである。本競走は、イギリスのセントレジャーに範をとり、昭和13年に『京都農林省賞典4歳呼馬競走』として創設され、23年より現在の名称となった。距離と施行場は、第1回から変わることなく(スタンド改築工事により阪神競馬場で施行した54年を除く)今日まで受け継がれてきている。最も強い馬が勝つと言われる菊の舞台で、世代最強を高らかに宣言し、歴史に名を刻むのは果たしてどの馬か。歴史的一瞬を是非心に刻んで頂きたい。平成7年以降GI競走が地方馬にも開放され、条件を満たした馬は本競走の出走資格が与えられる。また、平成13年より外国産馬の出走が可能となり、条件を満たした馬の中から最大で6頭が出走できる。

天皇賞(秋)

東京 3歳以上 芝2,000m


明治38年(1905年)5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から下賜された「菊花御紋付銀製花盛器」を賭けて創設した「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身。翌39年には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、小倉、福島、札幌、函館の計七つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」が施行されていた。しかし、各競馬倶楽部が独自の競走条件で施行していたため、競走名こそ同じものの、レースの性格は統一されたものとはいえず、昭和12年に各競馬倶楽部が統合されて日本競馬会が誕生したのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回施行されることとなった。第1回の12年秋は2600m、13年春が2700mで、3歳以上の馬によって争われた。13年秋から4歳以上、3200mの競走条件となり、戦争で中断される19年春(この時は能力検定競走として非公開で施行)まで続き、戦後の22年春に「平和賞」の名で復活。同年秋から現在の名称である天皇賞となり、春が京都、秋は東京で施行され、長い歴史を誇る天皇賞は古馬最高の栄誉とされてきた。56年に勝抜制が廃止されて過去の優勝馬にも出走権が与えられ、59年には秋の天皇賞の距離を2000mに短縮、さらに62年には3歳馬にも秋の天皇賞への出走権が与えられた。また、平成17年より国際競走として施行され、5頭以内の外国馬が出走できる。

エリザベス女王杯

京都 3歳以上牝 芝外2,200m


昭和45年に3歳牝馬三冠の最終戦として創設された『ビクトリアカップ』がこの競走の前身で、50年にエリザベス女王が来日されたのを記念し、翌年からエリザベス女王杯として新たに第1回の競走を施行した。ビクトリアカップの競走条件をそのまま踏襲し、京都競馬場の芝2400m、負担重量は定量、3歳牝馬限定の混合競走であった。 しかし、平成8年より競走条件が3歳牝馬限定から3歳以上の牝馬限定となり、「3歳以上牝馬のナンバー1決定戦」と意味合いが変わり、距離も2400mから2200mへと短縮された。 平成15年の本競走を制したアドマイヤグルーヴは、連覇を賭け16年の競走に出走。先に抜け出したオースミハルカを捉え、見事連覇を果たした。

マイルチャンピオンシップ

京都 3歳以上 芝外1,600m


本競走は、昭和59年に創設され、マイラーにとっては春の安田記念と並び大きな目標となっている。我が国の競馬においては、長距離競馬を重視した競走体系が長く続いていた。しかし、近代競馬がスタミナとともにスピードを重視する傾向になり、本競走が創設され、併せて天皇賞(秋)は2000mに短縮され、各馬が距離の適性に合わせたレース選択ができるようになった。歴代の優勝馬には、第1回のニホンピロウイナーを始めとして、サッカーボーイ、オグリキャップ、タイキシャトルなど、歴史に名を残す名馬が名を連ねている。

ジャパンC

東京 3歳以上 芝2,400m


本競走は、昭和50年代前半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され、日本でも国際競走を施行し、外国から強豪を招待して我が国のサラブレッドと競わせようという機運が盛り上がり、56年に創設された。初年度は、招待国を北米とアジアに絞り、アメリカ、カナダ、インド、トルコ(招待馬デルシムは来日後故障のため不参加)の4ヶ国から合計8頭を招待して施行され、アメリカ代表のメアジードーツが2分25秒3の日本レコードで優勝した。そして第2回からはヨーロッパとオセアニア地区も招待の対象とし、参加国の多彩さで世界一の競走と呼ばれるようになり、競馬のオリンピックとして評価を高めた。近年では、ヨーロッパを中心とした有力馬の参加により、主要な国際競走として世界中に認知されている。近年でこそ日本馬の活躍が目立つが、設立当初は、上記のメアジードーツ、ハーフアイスト(米)、スタネーラ(愛)と、外国馬の優勝が続き日本馬は全く歯が立たなかった。しかし、昭和59年(1984年)の第4回では、前評判の低かったカツラギエースがスタートから積極的な競馬をし、そのまま後続を振り切り日本馬として初めて先頭でゴール板を駆け抜けた。翌年にもシンボリルドルフが1番人気に応え優勝。その7年後の第12回では、その子であるトウカイテイオーが優勝するなど日本馬のレベルは飛躍的にアップした。

ジャパンCダート

阪神 3歳以上 ダ1,800m


本競走は、平成12年に創設され、今年で第6回目を迎える。我が国初のダート国際招待競走で、外国馬8頭以内を招待して行われる。平成7年に中央競馬・地方競馬相互間の交流が飛躍的に拡大され、中央・地方の垣根を越えたダート重賞競走が一層注目を集めることとなった。このような状況のもと、交流競走で活躍したライブリマウントやホクトベガなどが海外に挑戦するようになった。これにより、ダート競走においても「ジャパンカップ」の様な国際競走を施行しようという機運が高まり、本競走が創設された。

阪神ジュベナイルF

阪神 2歳牝 芝外1,600m


本競走は、昭和24年に創設され、関西地区の2歳チャンピオン決定戦として平成2年まで「阪神3歳ステークス」の名称で施行されていた。当初は1,200mで行われていたが、昭和35年に1,400mに延長され、昭和37年以降は現行の1,600mで施行されている。平成3年には、2歳牝馬による競走に変更され、2歳牝馬のチャンピオン決定戦へとその性格が一変した。また、平成13年からは「阪神ジュベナイルフィリーズ」と名称が変更された。ジュベナイル(Juvenile)は、英語で2歳馬のこと。フィリー(Filly)は、牝馬、特に4歳までの牝馬のことをいう。また、この言葉には社交界にデビューする少女(女性)という意味も含まれている。

朝日杯フューチュリティS

中山 2歳牡・牝 芝外1,600m


我が国と欧米の競馬の歴史には、幾つかの相違点があり、2歳競馬の開始もそのひとつである。欧米では3歳クラシック・レース体系の確立に伴い、2歳競馬が施行(1786年にイギリスのニューマーケットで初めて行われた。)されたのに対し、我が国では太平洋戦争の敗戦による競走馬資源の欠乏のために、欧米から遅れて昭和21年秋の東京競馬場で初めて2歳馬競走が施行された。その後、各地の競馬場でも2歳競馬が始まり、24年にはチャンピオン決定戦として、『阪神3歳ステークス』と『朝日杯3歳ステークス』が創設された。『朝日杯3歳ステークス』は、平成3年に牡・せん馬限定となったが、16年に牡・牝馬限定となりせん馬の出走が不可となった。施行距離は、創設時の1,100mから、34年に1,200mに延長され、37年以降は現行の1,600mに定着している。また、平成13年には「朝日杯フューチュリティステークス」と名称が変更された。 フューチュリティ(Futurity)は、英語で「未来・将来・前途」という意味。 近年の優勝馬には、グラスワンダー、エイシンプレストン、アドマイヤドンなどが名を連ねている。

中山大障害

中山 3歳以上 障4,100m


本競走は、昭和9年に当時中山競馬倶楽部の理事長であった肥田金一郎氏が、東京競馬場の東京優駿(日本ダービー)に匹敵する中山競馬場の名物レースとする目的で創設した。創設時の障害の規模は、大土塁障害(通称赤レンガ)が高さ1.4m、幅2.2m、大竹柵障害が高さ1.6m、いけ垣障害が高さ1.5m、幅2.7mで現在の障害より大きく、合計10回の飛越とバンケットを6回上り下りするという過酷なものであった。これまで何度か距離の変更を経て、47年秋からは創設時の4,100mに戻され、障害レースのスピード化に伴う事故防止のため障害の規模を多少縮小したものの、我が国では最も難度の高いレースであり『華の大障害』と呼ばれて親しまれてきた。平成11年に障害重賞の格付けが行われ、最高峰のJ・GIとされ、負担重量も別定から定量に変更された。なお、平成10年までは春・秋と年2回施行されてきたが、平成11年より春は「中山グランドジャンプ」となり施行されている。

有馬記念

中山 3歳以上 芝2,500m


本競走は、出走馬がファン投票で選出される。ファン投票で出走馬が決定されるのは宝塚記念(GI)と本競走のみで、ファンの皆様の手によって出走馬を選び、より一層競馬に親しみを持って頂けるようなレースにするという趣旨のもと行われている。本競走の前身である『中山グランプリ』は昭和31年に創設された。当時、暮れの中山競馬は中山大障害が最大の呼び物であったが、東京競馬場の日本ダービーに比較すると、華やかさに欠けることは否めなかった。そこで当時の理事長であった有馬頼寧が、中山競馬場新スタンド竣工を機に、暮れの中山競馬にも日本ダービーに匹敵する大レースを提案し創設された。ところが、第1回の成功の興奮が冷めやらぬ翌32年1月9日、創設者である有馬理事長が急逝したため、同氏の功績を称え、競馬の発展に尽力した同氏の名前をとり、有馬記念と改称された。以来、暮れの風物詩として親しまれ、幾多の名馬が名勝負を展開し今日に至っている。平成16年の本競走では、ゼンノロブロイが秋季古馬3冠(天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念)を賭け出走。2番手追走から、直線で逃げたタップダンスシチーを交わし見事古馬3冠を達成した。

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